アンシンクロナイズド・ワールド
そのとき照は気づかなかったのだけれど、夜空をひとつ、星が滑り落ちたらしい。 きっと今夜は星が綺麗だろう、と照の神は呟くように云った。じっとりとした夏の訪れの暑さの中で、照は彼の気分のことばかりを気にしていた。暑くはないですか冷房は効きすぎてはいませんか喉は渇きませんか。矢継ぎ早に訊ねる照に、彼の神はゆっくりと首を振った。大丈夫だよ、と微笑む姿に照は歓喜し、また、そんなに気を遣わなくてもいい、と云う言葉に肩を落とした。照は彼をいつでも最高の状態にしておきたかったし、それが自分の使命だと思っていた。目を伏せる照の姿に気づくと、彼は照に見えないところで、すこし困ったように眉を寄せ、それからは照を気遣うような言葉は何も云わなくなった。そのことを察すと、照はまた誇らしげに微笑んだ。照の最上の喜びは彼の神に仕えることであったし、何より神が自分を必要としてくれていると思うとそれだけで照のこころは満たされるのだった。 そうですね、きっと星が綺麗に違いありません、と照が答える。 雲もないし、何より今夜は満月だ、と神が云った。 月、と照も呟く。照はこの地上を厳かに照らし出すそれを愛していた。彼の神の名前を冠すその天体を。照の世界の中心はいつだって神なのだ。もし彼の名を冠すものが他の天体だったならば、照はそれを他のどんなうつくしい星よりも愛しただろう。照にとって重要なのはいつだってそのものの性質などではなく、それと神との関わりだけだ。 彼のためだけにしつらえられた豪奢なソファ、びろうどの布が衣服とこすれ、しゅるしゅると衣擦れの音を立てる。細く白い足首がフローリングの床の上を音も立てずに進むのを照は見つめた。彼が歩くのなら、きっと海すらもふたつに割れるだろうと照は信じていた。その光景は照の目の前に座す神にこそ相応しいものなのだ。 ゆっくりと部屋を横断し、硝子戸のサッシに手を掛ける。そこで照はハッとして、あわてて代わりに戸を引き開けた。そんなことは自分がやることだ。彼にはもっと崇高で重要な役割があるのだから。 彼はちらと照を見遣り、そのままベランダに足を踏み出した。その足もとが汚れないことを照は願った。神はいつだってまっさらで、うつくしくあらせられなければならない。隅々まで目を行き届かせていなかった自分に心中で毒づき、照はそっと溜息を零した。神に関することに、一縷の落ち度もゆるされないのだ。 苦渋を噛む照に、窓の外からひそやかに風に乗って声が掛けられる。 ―――照、お前もおいで。 神、仰せのままに。 大仰に照は礼をし、自らもベランダに足を踏み入れた。 手すりにからだを凭れかけさせ、神は、くっとその細い顎を上げ、天を見上げた。すこし後ろに立つ照からは表情は窺えない。照もつられるように天を仰いだ。黒く塗りつぶされたような闇空。月光が煌めき、穢れた世界を照らし出す。罪を洗い流すかのように。この世界は神、キラのおかげで成り立っているのだ。うつくしく、こころやさしい世界。それを実現させることは幼い頃からの照の何よりの望みであった。世界よ、うつくしくあれかし。照は願った。それこそ何万回と。そして今、その願いは実現に向かおうとしているのだ。キラ。照の、世界の神。彼がうまれ、そして自分を選んでくれた幸運を照は何度も噛み締める。この自分の手で、世界が理想へと生まれ変わる瞬間に立ち会えることはこの上ない幸福であった。 呼び寄せられるまま、彼の隣りに立ち、同じように空を見上げる。 そのとき照は気づかなかったのだけれど、夜空をひとつ、星が滑り落ちたらしい。わずかに上げられる声はやわらかく照の耳朶をくすぐる。闇夜のなか、照はそれに気づかなかった。照は夜空よりもすぐ傍に立つ神に意識を添わせていたから、それらにあまり関心を払わなかった。けれど星は落ちたのだろう、照の神がそう云うのならばたとえ真夏の太陽が消えうせたとしても照は信じるのだ。 すぐ横の御姿に思わず声を掛ける。 「神、あなたを愛しています」 果てしない魂の底から。ずっとずっとあなたを待ち、求めていたのです。私も、世界も。 彼は空を見上げたまま振り向かず、答えた。 「――― 知っているよ」 その言葉だけで照は充分だった。 あ、と彼はまた夜空を指差し、またひとつ星が滑り落ちたね、と云ったが、照は今度もそれを見つけることはできなかった。照の世界と彼の世界はいつまで経っても重なることはないのだったけれど盲目に理想を追い求める照はそのことに気づかない。だから照はその細い指先を追い、ただ何もない夜空を見上げ、微笑むことしかできないのだ。それこそが幸福だと信じて。 |
月=キラを崇める照の視点で書くのはとってもたのしいですが、
う、うーん何だかちょっと失敗してしまった気がします・・・。
同じものを見ていても、決して思考が重なることはない、その齟齬を表現したかったのですが・・・orz
そこが照月の萌え所である、かなしさでもあるんだと思います。
照は月のことは見ているんだけど、月と同じ思考を持とうとはあまり思っていないというか。
神は自分とは違うトクベツな存在なのだから、と思っている節がある気がします・・・理解の及ぶ存在ではないと。
(L月は見ている方向こそ違えども、思考は重なっていて、そこがたまらなくすきです。)
そして相変わらず意味の判らない状況で済みません。そのへんはあまり気にしないでください・・・。
2005.05.05