ナイトメア・イン・ザ・ルーム


 扉を開いた瞬間、とんでもない場面に出くわして、固まった。声をあげなかったのは奇跡だと思う。ぽかりと開いた口の奥で言葉は凍り付いて、目が合った親友(だったはずだけど今は断言できる自信はない)もぎょっとしたような顔で凍りついた。なんで、とひきつった表情で口を動かす姿に、それはこっちの台詞だ!と全力でつっこんだ。・・・こころのなかで。
 こいつはおれのともだちで、ここはおれの家で、いまおれが開けたのはおれの兄貴の部屋で、そんでもっておれのともだちとおれの兄貴は裸でベッドの上にいる、と。・・・なあこれって一体どんなAV? 頬がひくりと引き攣った。
 一体なんでどうしてどこをどうなってこんなことに、と頭の中でクエスチョンマークが駆け巡る。あーラップタイム今なら自己最高記録出せそう、だなんて馬鹿なことを考えている(―――いま思えば、これは確実に現実逃避だった)と、おれの親友――Jは、焦ったように視線を泳がせて、口を開けたり閉じたりしていた。
 親友と兄貴の濡れ場に遭遇して固まってドアのところで風呂上りにほかほかの湯気をたてて立ちすくむおれと、そんなおれに気づいて固まるJ。兄貴はJのからだのした、組み敷かれてそんなとんでもない事態には気づかずに、細い指先でシーツを握り締めていた。Jが動揺して、身じろぎすると、兄貴は今までおれが聞いたこともないような甘い声をあげた。
「あっ・・・じぇぃ、く・・・」
 息も絶え絶えに、擦れた声で縋り付くみたいに兄貴はJの名前を呼んだ。Jは、ハッとしたように、兄貴の頬にそっと触れて、おれからは見えない兄貴の顔に安心させるように微笑んだ。さりげなくJは腕で兄貴からドアのところに立つおれが決して見えないようにして(賢明な判断だったと思う。生真面目な兄貴が弟の親友とのセックスシーンを弟に見られたりなんかした日には遺書でも書きだしそうだ)、おれに目で部屋を出て行くよう合図した。
 おれは頷いて、なるべく音を立てないようにそっとドアノブに手を掛けた。閉まりかけるドアの隙間から、兄貴の白い両腕が、植物のつたみたいにゆるやかにJの首にのばされ、そのままJを引き寄せるのが見えた。 ドアが閉まったあとも、おれはしばらく兄貴の部屋の前に立ち尽くしていた。木の扉越しにかすかに漏れる嬌声がおれをそこに縛り付けた。けれど頭を振ってそれをふりはらい、足音を忍ばせて、部屋に戻り、財布と携帯だけをポケットにつっこんで、濡れた髪のまま家を抜け出した。
 しばらく歩いていると、だんだんと落ち着いてきて、そうすると余計に頭のなかが混乱してきた。一体なにがどうなってんだ?なんでJが、兄貴が、あんな・・・思わずさっき見た光景がフラッシュバックして、かーっと顔に血が昇った。(シーツのうえ散らばった紅い髪細いからだ白い肌伸ばされた腕甘い声、)
 塀に寄りかかって、ずるずると背中から滑ってしゃがみこんだ。頭を抱えて叫びだしたい気持ちだったけれど、出てきたのはみっともない低い唸り声だけだった。
「・・・なんで・・・」
 なんでなんだよ、なんなんだよあれ・・・・・・呟いてみても何処からも返事は返ってこない。すこし離れた大通りから車のエンジンとクラクションの音が聞えた。傍の植え込みからがさりと猫が飛び出して、うずくまるおれを見てニャーと鳴き、走り去っていった。こんちきしょう。

 そのあと何処をどう歩いたのか未だに思い出せないけれど、気がついたら隣り駅近くのファミレスまで来ていたので、とりあえず店内に入った。
「お客さま、おひとりですか?」とにこやかな笑顔の店員に案内されて、むわっと暖房の効いた店内の、窓際の席に案内された。おれはコップの水を一気に飲み干すと、財布の中身がやばいことを思い出し、「ご注文は?」と笑顔の店員に、フライドポテトとドリンクバーとだけ告げた。かしこまりましたぁ、ドリンクバーのコーナーはあちらとなっておりますのでご自由にご利用くださいませ〜。完璧な営業スマイルの店員が下がるのを見ながらおれはポケットから携帯を取り出して『説明しろ。××駅前のファミレスにて待つ』とメールを打ってJのアドレスに送信した。
『送信完了しました』の文字を見た途端、どっと疲れて、机に突っ伏して溜息を吐いた。
 Jから返信が来たのは、それから2時間後のことだった。・・・なんて生々しいご休憩タイム。



「・・・・・・で?」
 ズゾゾーッと行儀悪く両肘を突いたまま乱暴にアイスコーヒーをストローから啜りながら、おれは尋ねた。それから30分後にようやく現れたJはあの気まずそうな表情は何処へやら、色々とふっきったらしい様子で、メニューを広げて吟味している。おれが心底不機嫌そうに眉根を寄せてみても何処吹く風、だ。
「まぁ、見たままだよね」と飄々と云うと、水を一口飲み、Jは手を上げて店員を呼んだ。
 済みませんこのディナーセットを、えぇとパンで、飲み物はホットコーヒーで、えぇ一緒にお願いします。にこやかに店員に注文を告げるJに溜息を吐き、おれはストローを齧りながら窓の外を見遣った。辺りはすっかり暗くなっていて、色とりどりのネオンがきらきらしていた。
 店員が去ったのを横目で確認すると、Jは苛々と指先で机を叩くおれをちらりと見やった。
「豪くんはなにか頼まないでよかったの?」
「・・・・・・・・・いい」
 これ以上何も食う気にならない、と心中で呟いて、おれは乱暴にアイスコーヒーの氷を噛み砕いた。とりあえず、と注文したフライドポテトは半分以上が手付かずのまま残っている。いつもの腹具合は何処へやら、食欲なんて消えうせてしまった。
「ふぅん、ぼくはおなか空いちゃったから頂くね」とおしぼりで両手を拭きながら云う姿に、生々しいんだよ!と全力でつっこみたいのをぐっと堪えて、おれはテーブルににつっぷした。
(・・・なんか、Jのやつ性格よくなったっつーかたくましくなったっつーか・・・)
 おれが恨めしそうに顔をあげて睨んでも、Jは涼しい顔で水なんて飲んでいる。
 ああそういえば、とまるで世間話でもするみたいにJは口を開いた。
「豪くんてばいつから帰ってたの?」
「・・・・・・ずっといた。風呂入ってたんだよ」
「ああ、そうか。しまったなあ」
 と全然『しまった』感じじゃなく云うJにげんなりする。やっぱりこいつ性格変わったよな・・・・・・。
「ていうか・・・」
「・・・ていうか?」
 なにか問題でも?と云いたげに小首を傾げるJに、おれはしぶしぶ尋ねた。
「・・・いつからだよ」
「なにが?」
「・・・ッわかってんだろ!いつからお前烈兄貴とあんな・・・!!」
 この状況で質問することぐらい決まってんだろーが!と机を拳で叩くと、Jは横目で辺りを窺って、眉をひそめた。
「豪くん声大きいよ。・・・そうだね、豪くんの指してるのが付き合い始めたのは、って意味なら3ヶ月くらい前かな」
「さ、3ヶ月ゥ!!?」
 予想以上の答えが返ってきて、妙にひっくり返った声が出てしまった。ぽかんと口を開けて目を剥くおれにお構いなしにJは、うん、と頷いてコップからまた水を一口飲んだ。
「・・・・・・おれそんなの全然聞いてないぞ」
「うん、云ってないもの」
 ・・・このやろう。怒りを通り越してだんだん呆れてきた。
「・・・・・・おれがJのこと兄貴に紹介したのって」
「半年前くらい?」
「・・・・・・」
「一言くらい・・・」
「云ってくれたっていいって? 云えるわけないじゃない。何より烈くんがそんなこと許可すると思う?それにどんな顔して云えばいいの?『ごめん豪くん、ぼく、きみのお兄さんと付き合うことにしたんだ』。だいぶナンセンスだよね」
 畳み掛けるようにJは云い、おれが呆気にとられて目を丸くするのに気付くと、はっとしたように視線を落として俯いた。・・・・・・もしかして、いやもしかしなくても、こいつなりに悩んでたんだろうか。それならおれは裏切られただなんて思って悪いことしちまったかもしれない・・・・・・。
「・・・あ、あのさ、J・・・ごめ」
「お待たせしましたあ!」
 ご注文のデミグラスハンバーグセットとホットコーヒーになりまぁす、とウエイトレスがお盆を片手ににこにことやってきて、せっかくのおれの謝罪は遮られてしまった。・・・うわー素敵なタイミング。
 以上ですべてお揃いでしょうか?ありがとうございますごゆっくりどうぞー。笑顔を浮かべてウエイトレスがさがっていったのを横目で見ながらおれは溜息をつく。Jは、いただきます、と手を合わせてナイフとフォークを手に取った。
 まさしくもぐもぐと口を動かすJを見ていてたのしいわけもなく、なんとなく中断された会話を再開するのもはばかられて、おれはストローを咥えて窓の外を見遣った。そういえばこんな風にストローを咥えてぶんぶんと上下に振っていたら、行儀が悪いと兄貴によく叱られたものだった。ひとつ違いの男きょうだいだったし、兄貴は兄貴であーいう性格だったから、母ちゃんよりも兄貴の方がおれの教育係、って感じだった。
 そこらの女どもよりキレーな顔してるくせに怒るとめちゃくちゃこわい兄貴だけど、その分褒められるとめちゃくちゃうれしかった。すっげー色々心配かけたと思うし、迷惑もかけたと思う・・・と反省できるくらいにはおれも大人になった。おれは兄貴がだいすきだし、だからこそしあわせになってほしいと思う。でも、だけど・・・
「やっぱり納得いかねェー!!!!!!」
 なんでよりにもよって相手がお前なんだよ!とビシーッと人差し指を、のうのうと付け合せのポテトなんかを食ってるJに突きつけると、Jは眉毛も動かさず「だから豪くん声大きいから」と皿から目も離さずに云った。その様子にイラッとする。おれのただでさえひとより短い導火線は今にも点火を待っている状態。
「J、てめっ・・・」
「豪くん、烈くんに云われなかった?ひとのことを指差しちゃいけません、って」
 ようやく顔をあげたJはにっこりと笑顔だったものの、目が完全に笑っていなかった。むしろ据わってる(あーなんか初めて会った頃を思い出す・・・)目に一瞬たじろぐものの、おれだってこのくらいで引っ込みがつくくらいなら苦労はしない。指を突きつける代わりに、机を拳でドンと叩いた。
「・・・・・・今なら見逃してやる。だから別れろさっさと別れろ今すぐ別れろ!」
「無理」
 さっきからまったく表情を崩さないままJはコンマ1秒もあけずに笑顔でさらりと云いきった。
「別れるくらいならぼく死ぬからね」
 その言葉に、なっ・・・とおれは唖然として口ごもってしまった。金魚みたいに口をぱくぱくさせるおれにJは、ふぅっと溜息を吐いたあと、おれの目を真っ直ぐに見て云った。
「ぼくは真剣だよ。真剣に烈くんを愛してるし、全身全霊で烈くんを支えたい、守りたいと思う」
 たいせつなんだ、ほんとうに何よりも、誰よりも。
 ぽつりぽつりと、けれど振り絞るような声でそう云うJはほんとうに痛いほど真剣で、おれは黙るしかなかった。
「―――豪くんは大事な友だちだよ。・・・でも、こればっかりは譲れないんだ」
 決意に満ちた表情で、Jはきっぱりと云った。



 そのあとのことは覚えていない。気付いたらおれはファミレスを出て電車に乗って家に帰ってリビングのソファに寝転がってぼーっとテレビを観ていた。もしかするとあれは夢だったんじゃないかとかふっと考えたりして、そうするとそれはいかにもありそうに思えてきた。
「そ、そうだよな〜! あはは、いやあんなこと現実にあるわけないし・・・」
「・・・・・・・・・何ぶつぶつ独り言云ってんだ、豪?」
 お前大丈夫かぁ?と烈兄貴がすぐ傍に立って、心底訝しげな顔をしていた。
「ぎゃあ!出た!!」
「なっ・・・なんだよその言い草。ひとを化け物みたいに・・・」
 せっかくひとが心配してやってんのに・・・失礼なやつ、とかぶつぶつ云いながら烈兄貴は裸足でぺたぺたとキッチンまで行くと、冷蔵庫に首をつっこんで、牛乳のパックを取り出した。
「いつ帰ってきたんだ?」
 ・・・おにーさまがおれの親友とベッドのなかにいたときです、と云えるわけもなく、「・・・さっき」とだけ答えておいた。兄貴は、ふ〜ん、と興味なさそうに返事をして、自分専用のマグカップにどぼどぼと牛乳を注いでいた。
「お前も飲みたいのか?牛乳。ホットミルクするけど」
 おれの視線に気付くと、兄貴がくっと首を傾げて云った。
「あーいや、いらない」
 そう首を振ると、え、と驚いたように目を瞠られる。
「・・・・・・なんだよめずらしいな。いつもだったら、ひとが飲もうとしたら絶対一緒につくれつくれってうるさいのに」
 熱でもあるんじゃないか、とからかうように云うのにすこしムッとして、誰の所為だ!と叫びそうになるのをぐっとこらえて、あんま腹減ってねぇんだよ、と口をとがらせた。
「ま〜た買い食いしたんだろ。まぁ今日、母さんいないからいいけど、連絡しないで食ってくると怒られるぞ。あ、じゃあお前、今日晩ご飯いらないのか?」
「え、母ちゃんいねーの?」
 お前なあ・・・とあきれたように兄貴。
「前から云ってただろ。今日は同窓会で帰ってくるのは明日の夜。父さんも出張だし、今日はお前と二人だけ」
「ああ、どーりで・・・」
 だから昼間っからJと部屋に篭ってあんなことになってたわけですね、とひとり納得。ハハハハハ・・・。
「あ、お前こそどうだったんだ?」
「へ?」
 温めおわったマグカップを手に兄貴がこっちに歩きながら訊いた。兄貴は片手でシッシッとおれを払って場所を空けさせると、ソファの空いた左側に座った。
「だってお前、今日クラスの集まりがどーとかで朝から出かけてったろ。だからもっと遅く帰ってくるかと思ってたけど」
「あーいや、それがなくなってさー」
「え?」
「朝待ち合わせ場所に行ったはいいんだけど、なんか急に来れなくなったーとかドタキャンは多いわ電車は止まるわで大変でさあ、結局また今度別の日にしよーぜってことで解散。そんでしょーがねーから家に帰って・・・」
 と、そこでおれは烈兄貴が強張った顔を青褪めさせていることに気付いてハッとした。そうだ、おれがそうして家に帰ってきて『アノ』現場を目撃しちゃったんだから。
「―――来ようかと思ったんだけど、やっぱさー家に帰ってもどうせ寝るくらいしかやることねーし。だからずっとぶらぶらして、ゲーセンとか行ってた。ほらあすこの大通りの角んとこにあたらしくできたじゃん。そんで新機種すげー入っててさー」
 自分でもわざとらしいまでの空っ喋りで、いつもの烈兄貴だったらすぐに嘘だと見抜けただろうけれども、余裕なんてまったくない今日の兄貴はほっとしたように肩のちからを抜いて、「無駄遣いすんなよ。おれはもう小遣い貸してやんないからな」だなんて笑ってみせた。
 ひっでーきょうだいだろ!とかなんとか云いながら、おれは、あーこれは兄貴、Jとのことおれにバレたら本気でしぬかもな、とかぼんやり考えていた。
「あ、お前も風呂さっさと入っちゃえよ。また炊き直すの勿体無いし」
「・・・へーい。・・・あれ、兄貴いつものパジャマじゃねぇの?」
 そこでやっと気がついたけれど、いつも半袖のシャツパジャマの上と短パンで済ませている兄貴は、ハイネックのうえに長ズボンというえらくがっちりしたパジャマを着ていた。
 めずらしいじゃん、とおれが云うと、
「・・・洗濯したらこれしかなくなっちゃったんだよ」
 と兄貴はなんでもなさそうにテレビのチャンネル片手に答えたので、ふーんとだけ答えておれはリビングを出た。・・・もう一回入ったんだけどなあ風呂。
 部屋から着替えを取ってきて、脱衣所で上に着ていた服を脱いで上半身裸になったところで、突然兄貴が扉を開けて入ってきて、ぎょっとした。
「入るぞ」
「入ってから云うなよな! なっなんだよ、マナー違反だろ」
 おれが文句を云うと、兄貴ははあっと溜め息を吐いた。
「・・・何云ってんだよ、いつもトランクス一枚でうろうろ歩いてる奴がさ」
「う・・・そ、それは・・・いや、それとこれとは別で!」
「うるさいなあ、すぐ出てくよ。ボディソープ切れそうだったからせっかく教えにきてやったのに」
「あっ・・・ごめん。サンキュ。でも別にそんくらい自分で」
 兄貴はそこで、またあきれたような表情でおれを見た。
「どうせお前ボディソープが何処にあるかも知らないだろ」
「あ」
「お前ってほんとに家の手伝いとかしないからな・・・。もう高校生なんだからちょっとくらいは手伝いしろよ、母さんだって大変なんだからな。特にお前なんて大飯喰らいだし服すぐ汚すし手間ばっかりかけて」
「あーはいはいはい!!わかった!わかったわかりましたってば!風邪引いちまう!」
 おれがあわてて説教を遮ると、兄貴はちょっとむっとした表情を浮かべて、溜め息を吐いた。
「ったく、調子だけはいいんだからなあ・・・」
 ぶつぶつ文句を云いながら、兄貴は洗面台の前にしゃがみこんだ。下の扉を開いて、なかに頭をつっこみながら、ほら洗剤とかそういうのはここにしまってあるんだよ、とごそごそ奥から詰め替え用のボディソープを取り出してくれた。
「はいよ。じゃあこれを詰め替えて・・・・・・・・・豪?」
 兄貴が立ち上がって、それを手渡してくれてもおれはしばらく動けなかった。なんだか水の中にいるみたいにぼんやりした感覚。声がすっげー遠くから聞こえてくる。
「・・・・・・おい豪、どうしたんだよ、ボーっとしちゃって。・・・・・・え、豪? おい、大丈夫か・・・?」
 最初は訝しげにしていた兄貴も、だんだんと心配そうな声色になって、おれはハッと我に返った。
「え? あ、ごめん。ちょっと考えことしてた。わりーわりー。サンキューな、兄貴!」
「う、うん・・・でもお前、」
「いーっていーって!平気!ほらもー寒ィから風呂入らせてくれよ、風邪ひいちまう」
 おれは、それでも怪訝そうに眉を顰める兄貴の背中を押して、洗面所から無理矢理追い出した。
「じゃ!ボディソープ、サンキューな!」
「ご・・・!」
 尚も云い募ろうとする兄貴の鼻先でバタンと音を立てて扉を閉めた。あぶないだろ、と板一枚隔てた向こうから怒ったように兄貴が叫んだ。
「だから悪ィっ・・・ハックシュン!」
 こっちも叫ぶように返した途端にくしゃみが飛び出して、ぶるっと震えた。いや、演技じゃなく。
「・・・・・・さっさとあったまってこい。お前風邪引きやすいんだから」
「・・・へーい」
 まったく、と兄貴が笑った。
「お前っていつまで経ってもガキのまんまなんだからなぁ」
「るせぇ!早く行けよ!」
 はいはいさっさと退散しますよ、とパタパタと兄貴のスリッパの足音が遠ざかるのを聞きながら、おれは扉に背中を押し付けて、ずるりとしゃがみこんだ。本日二度目の体育座り。あーあ。
「・・・・・・ガキのまんまで悪かったな」
 要するに兄貴はさっさとひとりで“オトナ”になっちまったとゆーわけですね。いつもだったら拗ねて終わりなだけの台詞だけれど、昼間の出来事があっただけに、その言葉はおれに突き刺さった。
 さっき兄貴がボディーソープを出すのにしゃがみこんだとき、ハイネックの裾からちらりと覗いた首元。それを見た瞬間に、目の前が真っ暗になった。ガツーンと鈍器で頭を殴られたみたいな。そうして、おれは兄貴がなんでいきなりいつもと違うハイネックのパジャマなんて着ているのかを理解する。
 実は、あの昼間の出来事は悪い夢で、ほんとはJと兄貴はなんでもなくって、と都合のいいことを結構本気で考えていたんだけれど、それは一気に崩れ去った。砂でできた城みたいに、さらさらと。
「・・・・・・まじかよー・・・」
 明日っから、おれ、どんな顔してればいいわけ? 抱えた膝に頭を埋めて深く溜め息。閉じた目の奥では、兄貴の白い首筋に残る赤い痕とか、昼間見た情景が残像みたいに焼きついていた。
「・・・決めた。明日Jのやつ一発殴ろう」
 それで黙ってたことはなかったことにしてやろうっていうんだから、おれってばなーんてやさしーんでしょうか。ハハハ・・・、と口から乾いた笑いが漏れる。
 ピチャー・・・ン、と静かな浴室で水滴が跳ねる音が、妙におおきく響いた。





紹介のとこにも書いたようにテーマというかモチーフは「兄貴がおれの親友とセックスしてた」でした(笑)
メッセで冒頭を書きなぐったら好評だったので頑張って続き書いてみた・・・んですが・・・、
どうも着地点を見失ったような気がしなくもありません・・・orz 豪→烈具合をどうするのかで二転三転してもう・・・。
豪→烈はデフォだと思うんですが、J烈←豪メインの話は別に書きたいなーと思っているので今回はちょっと抑え目に・・・。
だがうっかり筆が滑って豪→烈が目立ってしまって没にした部分があるので、ちょっと下に載せておきます(笑)
お好きな方だけどうぞ〜

あっ、あとこれはいつもの時間軸とはちょっとズレてます。
兄貴とJくんは元から知り合い・友人じゃなくって、豪伝手に知り合ったという。
別に普通でいいじゃない・・・とか後から自分で思ったんですが、
まぁその方が出会ったばっかりなのに!みたいなショックも大きくてよいかと・・・(笑)

長々と済みません!ここまで読んで下さってありがとうございました!
因みに発想の元ネタは某所の「兄貴が男とセックスしてた」でした。読みふけったなあ・・・(笑)
2007.03.18



ボディソープあたりからの分岐(没Ver)

「じゃ!ボディソープ、サンキューな!」
「ご・・・!」
 尚も云い募ろうとする兄貴の鼻先でバタンと音を立てて扉を閉めた。あぶないだろ、と板一枚隔てた向こうから兄貴が叫ぶのに、こっちも叫ぶように謝まると、兄貴が沈黙した。
「・・・・・・なんか、あったのか?」
 扉越し、ちいさく、不安そうに声を出す兄貴におれは心の中で笑った。駄目だぜ兄貴、ひとの心配事を聞くのにそんな声出しちゃ、こっちの方が心配になっちゃうじゃんかよ。
「・・・なぁ、もしなにか悩みとか困ったことがあるんだったら云えよ、それくらい相談に乗るからな」
 おれは扉に背中を押し付けてぎゅっと目を閉じた。兄貴の声は変わらない。昔のまんま、しょっちゅうころころ転がっては怪我ばっかりしてたおれを気遣ったときとおんなじトーンで兄貴は喋る(ひとの注意を聞かないからだぞとかひとしきりお説教したあとはいつだって兄貴はやさしかった。喧嘩中だったとしてもそのときばかりは泣きじゃくるおれの頭をやさしく撫で、傷の手当てをしてくれて、おれはそれがとても嬉しかった)。
「・・・悩み、なあ」
「そう、悩みごと。なにかあるのか?」
 ―――ああ、あるよ。大事な大事な兄貴が、知らないうちに恋人をつくってて、しかもそれがおれの親友で、男同士で、現場まで見ちゃって。これで悩まないやつがいると思うか?
 おれは自嘲する。
 でもなによりもおれをひどくぶちのめしたのは、兄貴の首筋を見たときだった。
 ほんとは夢だったんじゃないか、Jと兄貴が、だなんてほんとはおれの夢で、実際は全然そんなことなくって、とか思って、思い込もうとしてた。でも兄貴の首筋、うえから見ないとなかなか気付けないようなところにつけられた痕におれは気付いてしまった。ああだからいつもと違うハイネックのパジャマだったわけね。そう思った瞬間、がらがらと足元が崩れてくような気がした。落とし穴にヒューンと落ちてく。ゲームオーバー。そんな文字が頭の中でチカチカしてる。
 要するに、おれは追い出されちまったわけだ。

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このへんまで書いたところで、あれっちょっとやりすぎ・・・?と思って没にしました(笑)
軽いノリでいこうとしてたのに気付くとちょっとシリアスな展開に・・・総受け大好きですみません!