正しいの仕方について


 あれぇ三橋眼鏡なんてかけてどうしちゃったの?と素っ頓狂な声を上げる水谷に、ちょっとばかり泉は内心舌打ちした。こいつってほんと空気読めないやつ、だなんて苛立って、いつも水谷に対していささか刺々しいどっかの捕手の気持ちがわからないでもないとすら思う。たぶん余裕がないんだ、と泉は考える。オレはいつだって何処でだって、ほんとはもっともっと欲しいものがあるし不満足で枯渇してる。スマートにクールで大人ぶってみても、内面はぐるぐるドロドロとマグマが渦巻いてる(だっておれおまえのことがほんとにすきなんだぜみはしねぇそういうのほんとにわかってんの、なぁ みはし、)


 騒がしい教室、はしゃぐ田島に手をとられて笑う三橋をかわいいなといとおしく思う反面、憎くてたまらなくなる。そんな瞬間はからだの中でチリッと赤く炎が燃え上がるのを感じる。泉は思う。ほんとにこれって恋なのかなこういうどす黒くってもやもやとした衝動が? けれどもやわらかい慈しみと微笑みがからだ全体に満ち溢れたりもして、恋ってよくわからない。いままですこしはそういう経験をしたはずだけど、そんなのとは全然違った。それは恋した相手が『三橋』だからか、ちゃんと『恋』したのが初めてだからなのか、泉にはまだ判りかねた。けれどそれ以上思考を重ねることはしない。
 だってなんだかそういうのめんどくさい、と心の中で泉はつぶやく。考えても考えてもそんなことはわからないし、それなら無駄なことに時間をつかわないで三橋の傍にいて野球している方がずっといい。ほらこれってすごくコイしちゃってる感じの発言じゃん?とひとりで頷く。
 恋なんてよくわからない。けど三橋の傍にいたくって、そんでちゃんとオレはそこにいて、三橋もそれを望んでる。それでいいじゃん。多分それってすごくクリアでただしい考えだ。

 泉と三橋はときどき手をつなぐ。キスをする。ぎゅっとハグする。くたくたでドロドロなユニフォームのまんまで汗臭いなんて笑いながら。制服姿の昼休み、こっそり2人教室を抜け出して、屋上に繋がる階段の踊り場で。誰もいない放課後の夕陽が満ちる教室で。休日の泉の部屋だったり、誰もいない三橋の家のキッチンだったり。
 ふにゃりと血色のいい頬で幼児みたいにわらう三橋がいとおしくてたまらなく、強く抱き締めすぎてケホケホと咳き込みながら三橋が泉の名前を呼ぶので、やっと腕を放したときに垣間見えた照れを含ませた笑みは、泉に幸福感を与えたし、からだにあたたかい紅茶を注ぎ込まれたみたいな気持ちになった。充足感。
 けれど反面、泉はまたしても飢餓感を覚えずにはいられない。空きっ腹にいい香りの紅茶、だなんて腹の足しにもなりゃしない。まなじりに涙をいっぱいに溜めたその表情に時々おそろしく獰猛な気持ちになる。(おまえを、くいころしたい、)飢えた獣じみた仕草でぺろり濡れた頬を嘗めると、ふるり、細い肩が震える。涙をふるい落とすハシバミ色が泉をじっと見つめる。その瞳のなかに映った姿に泉は動揺する。突きつけられる。(でもおれはおまえがすきなんだ、すきなんだよみはし、)喉の奥、ひきつれた悲鳴が凍りついて息ができなくなる。
 恋って、くるしい。



「でもなんで急に眼鏡?三橋って目悪かったっけ?」
 首を傾げる水谷に、う、あ、と三橋はたじろいで視線をきょときょとと走らせた。それでもそんな三橋に水谷もいい加減慣れているので、にかっと笑って「まぁ別にいいけどね!似合ってるし、気分転換ってたのしいもんね」うきうきした調子で、ねぇちょっとおれにも貸してくんない、と両手を差し出した。
「あっおれもおれもー!」
 ハイハイッ!とめいっぱい高く右手をあげながら田島もスナック菓子のふくろを左手に駆け寄ってきた。
「おれも眼鏡かけてみてー!」
「えーっおれが先に云ったのに!」
 食べていいよと差し出されたスナック菓子に三橋は目をきらきらと輝かせた。単純。泉が口の中でつぶやくと、まるでそれが聞こえたみたいにハッと三橋は出しかけた手をひっこめた。きょとんとする田島に、曖昧に笑って三橋は視線を窓に移した。わーなんかもうすげぇ暗いな、おれのチャリライト切れそうなんだよね大丈夫かな、とか途端に話題が窓の外に飛ぶけれど、すこし離れたところでシャツの釦を留めていた栄口は、きゅっと眉を顰めて三橋を見、そして泉の横顔を見つめ、すこしばかり険しい表情で目を細めた。それでも泉が知らん振りをしていると、諦めたように軽くため息をついて目をそらした。その行動で、あ、こいつは気づいてるんだな、と泉はそ知らぬ顔の下で思った。三橋の視線の先、それに含まれたものも泉の複雑な恋心も、栄口にはお見通しな気がした。諦念ともちょっと違う、変に老獪な感情に彩られた瞳に泉はちょっと笑いそうになった。エスパーみたいなやつ。
 窓の外の天気なんかじゃなくて窓に映った泉の姿を見つめている三橋はぼんやりと眼鏡の青いフレームに触れる。冷えた硝子の向こうの横顔を見つめる三橋の頭の中にはいつだって泉が住んでいて、耳元でそっと囁く。愛とにくしみと恋につきものな諸々のそれらを、三橋は目を閉じて反芻する。(―――泉の指先がこめかみに触れ、三橋は硝子のレンズ越しに泉をみあげる。居心地悪げにかけなれない眼鏡に触れる三橋の指先を、泉は微笑みと共にやさしく押さえ込む。おれが外してあげるまで外しちゃだめだよ。そう云って睦言じみて泉がつぶやいた声に、三橋はこくんと頷いた。)
 幼稚な所有の儀式だ。わかっているけれどそれは泉のささくれだったこころを癒した。泉は硝子越しの視線を浴びて、ちいさく口端を歪ませた。恋ってほんとにむずかしい。
 蛍光灯がジジッ、と音を立てて瞬いた。
 
 




mixiのイズミハコミュの絵茶に参加した際に引き当てたお題「眼鏡」で書きました。
が、「独占欲」もちょっと混ざっちゃってるな・・・無理矢理感な眼鏡(笑)
チャット中にせこせこ書いてたんですが、やはり絵描きさんのスピードには追いつけませんでした・・・(そりゃな!笑)
そんでもってなっかなかタイトルが決まらずにUPするのがこんなに遅れてしまいましたあわわ!もう12月だよ・・・!
2006.10.15