君の名前を呼ぶことすら僕は
 
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  ―――叶! 廉の学校と試合したんでしょ!? ねぇ廉どうだったの? 勝ったの? 
   
   
  受話器を受けた途端に耳元で叫ばれた。 
   うるせぇよ三橋。もっと静かに喋れ。てゆーか何でオレに聞くんだよ。本人に聞けばいいだろ。 
  オレがうんざりしながら云うと、受話器の向こうからキンキン声が返ってくる。 
   したわよ、もちろん! でもまだ廉は合宿から帰ってきてないって云われたの! ねぇどうだったのよ! 廉は? 元気だった? 泣いてなかった? ちょっと叶、聞いてるの!? 
  電話回線の彼方から、こいつは大事な従兄弟の名を何度も呼ぶ。 
   
  ―――こいつはオレのうしなったものを持っているのだ。手のひらに盛った砂がさらさらと零れ落ちていってしまうように、つかむ間もなく、なくしてしまったもの。オレはそれをどんなに羨んだことだろう。あの、持ち主と同じくやさしい響きを持つ名前を呼ぶことはオレにはもうできない。 
  “三橋”は以前と変わらず綿菓子みたいな声でこいつの名前を呼ぶ―――「ルリちゃん」 
  そうして呼ばれた方も慈しむように名を呼ぶ。―――れん。どうしたの、廉。またいじめられたの? あたしが守ってあげるよ。だから泣かないでよ、廉。 
   
  オレだけがその輪から抜け落ちてしまった。もう“三橋”はオレのことをあの頃と同じようには呼ばない。もうオレもあの頃と同じように“三橋”を呼ばない。―――もう、呼べない。 
  愛しかったものの残滓を掻き抱いても、その空白は決して満たされない。これは何物にも換えがたいと云いながらも他の何かと引き換えにそれを取り戻すことを拒んだオレへの罰だ。罪はオレに傷跡を与え、そしてオレはその傷跡を抉り続けることでうしなったものを忘れまいとしている。 
   
   
   
  けれどオレは卑怯だ。今、免罪符を手にオレは傷跡にふたをする。 
   
   
   
  ―――廉は勝ったよ。三星の負けだ。 
   
   
   
  れん、と声に出して云ったのはどれくらいぶりだったろうか。オレはそのやわらかい感触に泣きたくなる。オレが突き放したのに。オレはやっぱり廉を求め続けていた。どうして守ってやれなかったんだろう。どうしてあんなに追い詰めてしまったんだろう。オレは無力だったわけじゃない。オレは廉をたすけてやりたかったのに、結局廉をたすけたのはオレじゃなかった。だから本当のところ、オレには廉の名前を呼ぶ資格すらないんだ。でもオレは呼んだ。三橋やおばさんたちの前ではオレたちは「修ちゃん」と「廉」だった。呼び方が変わって、自分の身に何が起こってるか知られるのを廉は拒んでいた。きっとその些細な変化によって、握ったものを放させられるのを廉はいちばん恐れていた。そうして必死に守った「エース」の座が廉を更に苦しめていたのに。それでも廉はそれを手放そうとはしなかった。 
  廉が守ろうとしていた茨の冠はもう廉の手の中にはない。廉が今持っているのはほんものの冠だ。この冠は廉をやたらに傷つけたりしない。そんなあたらしい冠を廉は手に入れたのに、オレはまだお芝居を続けている振りをする。「修ちゃん」と呼ばなくたって、「廉」と呼ばなくたって、それを聞きとがめて、廉から冠を奪う大人はいないのに。それでもまたオレはそのことに気づかない振りをして、あいつの大事な従姉妹の前で「廉」の名前を口にし続ける。オレは卑怯だ。 
   
  ―――なぁ三橋。廉はすごくたのしそうだったよ。 
   
  あんなに傷つけたのに、あんなに苦しめたのに、オレたちに「嬉しかった」って云ったんだ。オレたちと一緒に野球ができて嬉しかったって。バカみたいだろ、だってオレたち敵同士だったのに。それなのにあいつ、あいつさ・・・・・・。 
   
  ―――廉はもうひとりじゃないんだよ。 
   
  廉は転校してよかったんだ、きっと。あたらしいチームメイトに囲まれた廉はすごくしあわせそうだった。オレは、オレたちは、廉にあんな顔させらんなかった。廉は三星を離れてもさみしくないって云った。 
   
  ―――廉はもう大丈夫だよ。あいつは強いから。 
   
  泣きたくなった。大声で泣き叫んでしまいたかった。みっともなくたってかまわない。不様だってわらわれたっていい。そうしたら楽になれるだろう。受話器の向こうで三橋のすすり泣く声が聞こえた。・・・なんでお前が泣くんだよ。・・・だって、だって・・・・・・あんたがそんな風に云うから。そんな風に廉を呼ぶから・・・・・・。そう云って三橋は泣いた。ささいなことでもすぐに泣く、廉とは違ってこんな風に三橋が泣くなんて初めてだった。いつも強気で廉の手を引いていた三橋とは全然違う。そこにいるのは従兄弟を想って泣く、やさしい女の子だった。 
   
   
   
  ・・・なぁ廉。お前を大事におもうやつがここにもいるよ。忘れんなよ。新しい環境で、新しい仲間とともにお前はいっぱい笑って、それでもいっぱい泣くんだろう。でも今までみたいにくるしくて、さびしくて、痛くて泣くんじゃない。泣くなよ、廉。オレも、三橋も、お前のことが大好きだよ。お前のしあわせをずっと願ってる。まもれなくてごめんな。たくさん傷つけてごめんな。今更、こんなこと云えた立場じゃないけどそれでも叫ぶよ。オレは廉が大好きだよ。もう迷わない。次に会うときは絶対に笑ってるから。だから今夜だけはごめんな・・・。それでも廉も笑ってろよ。何度でも云うよ。何度でも呼ぶよ。 
   
   
   
   
   
  だいすきだよ、廉。 
   
   
   
   
   
  (その晩、三橋の泣き声聞きながら、オレも少しだけ、泣いた。) 
   
   
   
   
   
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な・・・何がしたかったのかよく判らん話になってしまいました・・・・・・。
やっぱりネタは思いついたときにすぐ使わんと腐るなぁと思いました。ネタってほんと生ものだわ・・・(懺悔)。
2004.09.23(UP日)