「―――お前、三橋にもうメール送ってくんなよ」

 ああそうそう、だなんて、まるで昨日あのテレビ観た?みたいな軽さで投げかけられた言葉に水谷は一瞬言葉をうしなった。ワンテンポ遅れて、・・・え、と呟くと、泉はゆったりとTシャツから頭を突き出しながら、だからさ、と繰り返した。
「お前からメールが来ると三橋がかわいそうだから。だからもう送るな、って云った」
 それだけ云うと、固まる水谷をよそに、んじゃーオレちょっと購買寄ってくっからお先、と着替え終えたユニホームを乱暴に突っ込んだ鞄を片手に揚々と部室をあとにしていった。ちょっとばかし立てつけの悪い扉がギィイー、バタン、と音を立てて閉まったところでようやく水谷は声を出せた。

「・・・・・・・・・なにそれ」



絶望プリンス切望プリンセス




 ―――って云うんですよ泉ってばひどいと思いませんかキャプテン!
 と今週の部活予定表を見ながら、弁当のシューマイを頬張る花井に、水谷は口を開いては閉じるということを繰り返していた。ささっといつもみたいに、ねぇちょっと聞いてよさっきさぁ〜と軽くオーバー気味に哀れっぽく訴えればいいと思うのに、なんだか言葉が喉から先に出てゆかない。油が足りないブリキ人形みたいにギチギチと悲鳴をあげている。からだが、重い。いつも明るい陽気な水谷くんは何処行っちゃったんだ?と自問自答。
 のろのろとお弁当のご飯(今日はせっかく白米でなく炊き込みご飯だっていうのにちっとも箸が進まないんですなんてこと!)を口に運んでいると、ようやく花井がプリントから顔をあげて、眉根を寄せた。
「・・・あ? 水谷どーかしたのか」
 なんかさっきから妙におとなしーよな、と首を傾げる姿に、さっすがキャプテン!とこころのなかで拍手喝采。へらりと笑って、今度こそ、と口を開く。
「い、いや〜!実はさっき朝練ンときにさ、」
「どうせ腹でも壊したんだろ。こいつ珍しく早弁とかしてねーし。それかお前のおかず狙ってっかどっちかだな。だってこいつさっきからお前の弁当凝視しながらアホみてーに口ぱくぱくさせてんもん」
「はあ!? ンだよーやんねぇぞ。今日は崎陽軒のシューマイだから駄目だ」
 さっきからひとりでガツガツ口の中に飯を放り込んでは咀嚼していた阿部がやっと口を開いたと思ったら、とんでもなく余計なことを云ってくださった所為で、心配そうだった花井の顔は一気に呆れの表情に。
「えええ!? ちっ違くって・・・!ちょちょちょ、ほんと花井のベントーなんて狙ってないって!」
 いやいや花井もそんなに弁当箱抱えて警戒しなくても・・・なんかへこむ・・・・・・。
「・・・・・・・・・・・・阿部さあ、おれのことなんだと思ってんの」
「云わなきゃわかんねぇか?」
 フッと根性悪そうな片微笑みを浮かべると(マジ悪人面だよな・・・)、阿部は素知らぬ顔でストローでパック牛乳なんて啜っている。
「・・・前から思ってたけど、阿部って、ひっでーよな・・・・・・」
「お前に気を遣う理由はねぇからな」
 ムカツくばかりの冷笑を浮かべながら、玉子焼きの最後の一口を口に放り込むが早いか、さっさと弁当箱を片付けて「ごっそさん」と教室を出て行ってしまった。
「早っ。もっとよく噛めよな〜。ていうか何処行ったの?」
 おれが云うと、あー・・・と花井はちょっと頬を掻いた。
「9組だってさ。週末の練習試合のことで話があるんだと」
 三橋に、とさりげなく付け足された言葉にどきりとする。わかりやすく指が震えてしまったけれど、花井はもう既に阿部の去った扉を眉を寄せて睨んでいて気付かれなかったようで、ちょっとほっとした。
「阿部ってほんとに口悪いよねぇ。ちょっとそれはわざとやってんのかってくらい三橋のこと怯えさすし、三橋ダイジョブかなあ〜?」
「練習に響かせなきゃいいけどな・・・でもまぁ9組なら田島も泉もいっからヘーキだろ。なんかあったらフォロー入れっだろーし」
「ああ、そだねー。田島と三橋ってツーカーって感じだし」
 泉は、と思う。・・・泉も、三橋のこと大切に思ってるしね。おれを朝っぱらから絶望させるくらいに。
 思い出すとまた気分が降下していくのがわかる。すーっと血の気が下りていく感じ。貧血の前兆に似ている。それでも冷たい指先を擦り合わせながら、沈んでいく気持ちを振り払って明るい声を出す。
「・・・ところで、花井、えぇっとーさっきの話の続きなんだけどさ〜」
 えへへーと精一杯の笑顔で話しかけると、花井はちょっと怯んだように肩を揺らしてこう云った。
「シューマイならやんねぇぞ」
 ・・・・・・もういいです。



          *          *          *



 放課後、グラウンドに現れた水谷はいつもよりぐったりして見えた。
「―――ざまぁみろ、とか思ってないよね?」
「・・・栄口」
 にっこりと笑顔を浮かべて話しかけてきたチームメイトに泉は、げ、とこころの中で舌を出す。
「なんのことだよ?」
「嘘ばっかり。水谷があんなになっちゃってるのって泉のせいでしょ」
 あんな、と指差した先では水谷が空のバケツに足を突っ込んですっ転んでいた。マネジが慌てて駆け寄るのにへらりと浮かべる笑顔も精彩を欠いている。馬鹿め。
「いじめるのもほどほどにしといてあげなよね」
 まあ気持ちはわかるけど、ヤキモチもやりすぎると嫌われちゃうよお父さん。
「・・・・・・お前って読心術でもできるわけ?」
 思わず呟いた泉の言葉に、栄口は笑った。
「まっさか! ただカンはいい方なんだよね。で、何があったの?」
 別になんにも。そう答えようと思ったけれど、有無を云わさない栄口の微笑みに溜め息を吐いてしぶしぶ口を開いた。(だってこいつ目が全然笑ってないんだもんよ・・・)
「三橋がかわいそうだから、もうあいつにメールすんなって云っただけ」
 そう云うと、へえ、と栄口は目を丸くした。
「それってどういう意味なの? もちろん三橋が水谷からのメールを嫌がってるってわけはないと思うけど。つまり、水谷からメールが来ることでなにか三橋が困るようなことが起きてるってこと?」
 さすが気遣いのひと・栄口は鋭い、と泉は感心した。
 さっきのアホーはあっさり自分が三橋に嫌われるようなことしたかと勘違いしたってのにな。
 はぐらかしてしまいたかったけれど、真剣な表情で自分を見つめる栄口からは逃れられなさそうだと観念する。軽くため息。
「・・・水谷ってさ、結構メール魔じゃん」
「ああ、そうかもね。返信も早いし、暇さえあればメールってタイプかな」
 以前水谷から送られてきたメールを思い出して栄口はすこし笑った。(『5時間目、数Aなんだけど、1組ってセンセうちとおんなじだよねぇ。小テストってもうやった?どんなんだった〜??おれ無理そう(@△@;)』とか『今日栄口のおにぎりってなに?おれはシャケなんだ〜〜(* ^―゚) 4時間目って腹減るよなあ・・・・・・手動かさないとマジ寝ちゃいそ〜(;>Д<)』エトセトラエトセトラ!)
「そんでさ、同じ調子で三橋にもメール送ってくるわけ。あいつにとっちゃ日常茶飯事なんだろーけど、・・・三橋ってそういうの慣れてないだろ」
「・・・ああ、そういうこと」
 思い出すのは、三橋の中学時代。ひっそりと息を殺して、身を竦ませていた後ろ姿。たとえヒイキでも譲りたくないとエースナンバーを握り締めていた三橋の掌からは、そういったささやかな日常の欠片が零れ落ちていってしまった。ちょっとしたことでも友だちにメールする、とか。そんなほんとうにおれらには普通のことなのに、三橋はいちいち特別なことみたいにびっくりして、そして、ほんとに嬉しそうにする。
「だからさ、いっちいちメールくるたびにあたふたして、腹減ったーとか授業眠いーだとか全然大した内容じゃないのに、すんげーうれしそうにして、そんで返信考えんのにものすっげー一生懸命なわけ」
 授業ちゅう、鞄の中から聞えてくるバイブ音にびくっと肩を竦ませて、黒板に向かって数式を書いている先生の背中をちょっと見遣って、あわてて鞄から携帯を取り出す三橋。画面を見て、まるでそこに宝物でも見つけたみたいな表情でディスプレイを見つめて目を細める姿を、斜め後ろの席から泉はいつも見ていた。そのあと、すごくすごく時間をかけながら、打ち直しを繰り返しながら机の下、こっそりとメールを打って、やっと送信して、携帯を握り締めて、ふうっと息を吐いて窓の外を見つめるのも、そのすぐあとにまた送られてきたメールにおなじように真剣に向き合うのも。
「・・・・・・・・・むかつくんだよな」
「何に対して?」
 笑いを含んだ声で栄口は云った。帽子の下でからかうように目を細くする。
 嫌味なやつ。なにに対してか、だなんてそんなの決まってる(ぜってー云わないけど)。
「でもいいじゃない。泉はメールなんてする必要ないくらいすぐ傍にいるんだから」
 ちょっとくらいは譲ってもバチは当たらないよ、という台詞に含まれたのは誰のことなのやら。クラスメイトっていいよねえ。笑顔の下でわずかに翳った瞳の色を見ながら泉は空を仰いで嘆息した。まわりは敵でいっぱいだ。
「別にそういうんじゃねーよ」
「へえ、じゃあどういうこと?」
「・・・・・・・・・アホみたいにばかばかメールされると、三橋が授業に集中できない。イコール成績が悪くなる。イコール、追試の確率があがる。イコール、シガポに試合に出してもらえなくなる」
「ああ、それは困ったねぇ」
 と全然困っていなさそうな口調で栄口は云い、帽子のつばをきゅっと握って、雲のすくない青空を見上げた。
「今日は晴れてよかったね」
「そーだな」
 栄口の台詞に釣られて泉もグラ整用のならしを手に空を仰ぐ。かき氷のブルーハワイみたいなきれいな青空と、昨日の分までかがやきますよと云わんばかりに照りつける太陽に嘆息する。今日は暑くなりそうだ。
「・・・まあ、おれも泉の立場だったら嫌がらせくらいしちゃうかも」
「・・・・・・・・・・・・嫌がらせじゃねーよ」
 栄口、お前ってイイヒトそうな顔して実は結構性格悪くね?
 そう泉が唇をとがらせても、お構いなく、にこりと栄口は微笑んだ。(天使のような悪魔の笑顔ってこーゆーやつ?)
「かわいい娘さんを持つと大変ですね、お父さん」
「・・・まったく苦労するぜ」
 グラウンドの入り口、金網をがしゃがしゃ云わせて、飛び込んでくる泉の大事なだいじな愛娘―カッコ仮カッコトジ!―に栄口は笑って手を振り、泉は顎をしゃくって、急げよ、と促がした。
 首と腕が取れちゃうんじゃないかと云うくらいにぶんぶんと振り回して、あわててベンチに向かう後ろ姿に声をかける。
「―――三橋!」
「? な なに、泉くん?」
 きょとんと、おおきな榛色の瞳をぱちぱちさせる三橋に、ツキリ、と胸が痛んだ。あーあ、“お父さん”なんて役割もまったく損だよな。
「今日暑いからタオル取ってこいよ。あと、部室戻ったら悪いんだけど、テーピングとコールドスプレーあるか見てきてくんね?マネジがこれから買い出し行くみたいだから、なかったら頼んじまねーと」
「う、うん!わかった、すぐ行って、くる ね!」
「サンキュ。でも走んなくていいかんな。つーか走ってくなよ?部活前に疲れちゃ意味ねぇだろ」
「わ、わかっ たよ。ありがとう泉くん!」
 頼まれごとをされた=頼られてる!と思って、うれしそうに頷き、駆け出そうとした三橋をさらりと制す泉に、さすが手慣れてるなぁ、と栄口はこっそり感心した。親子っていうよりは、ペットと飼い主って感じだけど。
「・・・・・・で、なんで部室行かせたの? テーピングとか昨日買ってきてもらったばっかりじゃん」
「・・・オヤゴコロ、だろ」
「へええ〜」
 笑いながらそう云う栄口に、泉は苦虫を噛み潰したような顔をした。「栄口、お前ってほんとに」
 あーあ!と大袈裟に溜め息を吐いて、髪の毛をぐしゃぐしゃとかき混ぜると、泉は、栄口にならしを預けて、水道の方に向かった。こころなしか後ろ姿にもしょぼくれた様子で手を洗う背番号7に近付くと、隣の蛇口を思いっきり捻り、ぶしゃああっと激しく水を飛ばした・・・・・・隣りの水谷に向かって。
「ぎゃあああ!なななな、何すんの泉ィ!!?」
「悪ィ、飛んだ」
「これちょっと雫飛んじゃった〜ってレベルじゃなくない!?びっしょりだよオレ!確実に意図的なものを感じるんですけど!もーほんとなんなの?いやがらせ?いやがらせなの!?」
 悲愴な声でまくしあげる水谷に、泉は横を向いて溜め息をついた
「・・・あーあ、もうなんでこんなアホーに」
「えええええー・・・・・・なにそれェ!さすがにひどすぎない・・・!?」
「っるせーなあもう!悪かったつってんだろ!オレのロッカーに使ってないタオル置いてあっから、それで拭いてこい。ほらさっさと行け!!」
「わわわわかったってば。―――泉、今日チョー機嫌わるくない?」
 ならしを手に近付いてきた栄口に、水谷が小声でそう云うと、含み笑いが返ってきた。
「・・・まあお父さんは大変だってことだよ」
「は?」
「栄口、お前もうるさい! おら水谷、テメーはさっさと部室行ってこいよ。練習始まっぞ」
「わかったから蛇口から手放してよね!」
 もうまったくなんなんだよーとかぶつぶつ云いながら、恨みがましそうに部室に向かう水谷の後ろ姿に泉はフンと鼻を鳴らした。
「やさしいじゃない、どうしたのお父さん」
 まあ多少強引だったけれど、水谷を部室に向かわせるには充分な理由だ。三橋のいる部室へ。
 笑って栄口が云うと、泉は眉間に皺を寄せたキョーアクな顔のままで呟いた。
「別に水谷はどうでもいいけど、三橋がケータイ握り締めて離さねぇんだもん」
 休み時間のたびにケータイを開いてメールがないかチェックして、そうして肩を落とす姿なんて見ていて決してたのしいもんじゃない。
「娘のしあわせを第一に考えたげるなんて、泉は全国のお父さんの鑑だね」
 栄口が笑って云うと、泉はいっそう険を深くした。
「・・・・・・・・・ほんとに“お父さん”だったら、こんなに苦労しねーよ」
 それだけ云い捨てると、栄口の手からならしを奪いとって、さっさとグラウンド整備に戻って行ってしまった。その怒ったような後ろ姿を見つめて、栄口は苦笑した。
 いちばん身近にいるからこそ泉にはわかってしまった。自分のイチバン大事なひとが、誰をイチバンに想っているか。そうして、どうしたらイチバン大事なひとが、いちばん、しあわせになれるか。
「せっかくのチャンスを生かせるかどうかはあいつ次第だけどね」
 部室棟を仰いで、栄口はひとりごちる。
(お前のイチバンは、お前だけのイチバンじゃないってことをよーく覚えておいてよね、水谷)




―――いつだって大事なだいじな愛しのお姫さまのイチバンの座を狙っている保護者の皮をかぶったオオカミたちがいることを王子さまは決して忘れてはならないのです。

(下克上の日は近い?)



最初は拍手お礼用の小ネタのはずだったのにどんどん長く、妙な方向に転がっていってしまいました・・・。
後半とかこんなに長くなる予定ではなかったのに!泉パパが好きすぎてすみません・・・。
両片想いってものすごい焦れったいけど、すごく萌えると思います。そして総愛されっていいよね!
2007.08.02