二匹のヒヨコとバニラアイスクリーム




 そのひょこひょこはねるヒヨコみたいな姿を見てると、つい手を出したくなるんだ。


「三橋!」
 朝っぱらから今日もお仕事。仕込みを終え、車に水をかけながらあくびを噛み殺していると、ガランとした道路の向こう側に見覚えのある姿を見つけて、声を掛けた。
 すると呼ばれた本人はびくんと肩を跳ねさせて周りをきょろきょろ。
「三橋ィー!こっちこっち!」
 もう一度おおきく手を振りながら呼ぶと、ようやく三橋はオレに気付いたらしい。それでも2、3度辺りを見回し、自分以外誰もいないことを確認してから、やっとオズオズと手を振り返した。
 ・・・思いっきり「三橋」って名指しなんだけどな。こういうところで、やっぱりまだ三橋は完全にはオレに馴れてくれないということが浮き彫りになる。ちぇ。
 手招きすると、三橋はちょっとためらったのち、わざわざ横断歩道で信号待ちをしてやってきた。道路には車どころか猫の仔一匹通らないのに律儀なやつ。損な性分だとは思うが、オレは三橋のそんなところも結構好きだったりする。

「いっ、泉 くん」
「よ。はよ、三橋」
にっと笑うと、三橋もほっとしたようにぎこちなく笑い返した。
「おはよ うございま、す」
 三橋に対しては『大声を出さない』『常に笑顔を心掛ける』『根気よく対応する』というのがいちばんに三橋の性質を理解したらしい栄口が掲げた不文律で、オレたちの暗黙の了解だった。要するに小動物か幼児に対するようにすればいいのだ。大学生相手に失礼な話だとは思うけれども。
 うちのケーキ屋のお得意さまであるレストラン『ペシェ』。
 そこにバイトとして入ってきた三橋は、いやお前明らかに接客業向いてないだろ、と云いたくなるくらい人見知りが激しく、また大いにどんくさかった。
 だが、やる気と誠意は人一倍で、こっそり店の裏に引っ込んでは泣いていたりしつつも文句ひとつ云わず働く姿に皆感化され、今では全員が三橋を認め、というか有り体に云ってしまえば、『めろめろ』だ。
 そして、そこにはもちろんオレも含まれるわけで。

「三橋、今日シフト朝からか?」
「あ、うぅん。午後から、なんだけ ど、午前中の講義、休講 に なっちゃっ、て」
 することないからお店手伝おうかと思って、と三橋は肩を竦ませた。いやいやそれは恥ずべきどころか素晴らしいことだろ、と思いつつ何だかんだとだらける他の店員を思い浮かべた。あの野郎しょっちゅう注文品忘れやがって、と心の中で毒づく。
「泉くん、は・・・」
「あ、オレ? オレはまだ配達まで時間あんだよね。そだ、三橋昼飯喰った?」
 三橋が首を振った途端に、ぐぅぅ〜と腹の音が鳴り、オレは爆笑。
「じゃあうちで喰ってけよ。大したもんはねぇけどなんかつくってやるから」
 えっ、と申し訳なさそうな表情を浮かべる三橋の額を小突く。
「ばーか。ンな腹の虫鳴かせながら断るなよ。食べ終わったら店まで車で送ってってやるし。その代わり新しい試作品の試食しろよ?」
 そう云って笑うと、三橋はパッと顔を明るくして頷いた。
「うっ、うん。ありがとう、泉くん」
 たのしみ だな、ととろけるような笑顔を浮かべる三橋はもう食べ物のことで頭がいっぱいみたいで、オレは出しっぱなしだったホースの水を止めながらこっそり笑った。
 その細っこいからだの何処に入るのかというくらいに実は大喰らいかつ美食家な三橋の意見はかなり参考になる。まぁ実際至福の喜び、みたいな顔して食べるので、その顔見たさに食べ物を与えているところもあるのだが、ほんとに的確なコメントを寄越してくれるので大助かりだ。
 オレはまだパティシエといってもひよっこであるので、店に出せるものはほんの数品しかない。月に一度店主である親父に自作のケーキやらパイやらを試食してもらい、合格したものを更に改良し、ようやく店に置いてもらえる。しかも、それ以降も定番商品として置いて貰えるかは売り上げ如何なので、かなりシビアだ。だから品卸しついでにペシェの従業員とよく店に遊びに来る近所の高校生の田島(こいつがまた舌が肥えている)に試作品を食わしてはコメントを貰うということを繰り返している。
「今度はちょっと自信あるんだぜ」
「おおっ」
「あ、あとちょっと早いけどアイスクリームもつくってみたから食えよ」
 バニラアイス、好きだろ?と云うと、三橋は首が取れそうなくらいこくこくと頷いた。
「す、好き! ありがと う、泉くん!!」
「・・・・・・ッ」
 思わぬところから満面の笑みを見せられて、思わず一瞬頭がフリーズした。
(うっわ何これちょうレア!すげーレア!)
 ゆるむ口元をあわてて手で隠すけれど、多分いまのオレの顔はすごく赤い。
 どうかした の?と首を傾げる三橋に気付かれないといいんだけど、と願いながら
「何でもないよ。ほら腹減ってんだろ、中入ろうぜ」
 さりげなく三橋の手を握って、店の中に足を踏み入れた。



(お前の言葉はなにもかも覚えてるよ何が好きなのかとかぜんぶぜんぶ!)(その2文字がいつかオレだけに向けられたらいいのにと願いながら今日も砂糖と格闘)





西浦レストラン泉くん篇でした!
ちなみに泉くんちのケーキ屋の名前は『Spring』という要らん設定があったり・・・(笑)
2006.06.11