幸福に乾杯!
三橋は、頭を撫でられるのが好き、らしい。 最近ちらちらと少しずつだけれども笑顔を見せてくれるようになった三橋。なかなかひとに馴れない小動物を相手にしている感じで接するのがコツということに思い当たったのは多分オレがいちばん。(と自惚れてもいいと思ってる。) 店長代理である花井がバイトとして連れてきた三橋は、おどおどと怯えてすらいて、初めて会ったときは目も合わせてくれなかった。正直こんなんで仕事できるのかな、と思ったのは仕方のないことだと思う。けれど先月でウェイトレスの女の子がひとり辞めてしまって人手不足だったのは確かだし、花井曰く、『已むに已まない事情により』どうしても三橋をここで働かせなければならないそうだ(詳しいことは花井の眉間に皺が寄っていたので聞かないでおいた)。 それで教育係にお鉢がまわってきたのがオレだった。仕事を教えられそうなフロア担当はオレと水谷(アルバイト)だけだったし、教えるのならオレの方が向いているだろうとのことだった。(それに水谷は仕事はできるけれど何だかんだいって機嫌屋で好みが激しい) 「初めまして、栄口勇人です。同い年だよね? よろしく、三橋」 「よ・・・よろし くお願いしま、す」 にこっと笑いかけると、不安げなか細い声が返ってきた。 「緊張してる?」 「ぅ、は・・・はい・・・」 ぎゅううっとシャツの胸の部分を握り締めて頷く三橋の顔色は青を通り越して白く、さすがに心配になった。コホン、と軽く咳払いをしてその手をそっと握った。驚いたように三橋が顔をあげる。 「やっと目があったね」 三橋は零れそうなほど大きな目を更に見開いて、え、とちいさく呟いた。 ひんやりと冷えたその手をもう一度握り直して、オレは三橋の目を見て微笑んだ。 「大丈夫。そんなに緊張することないよ。ちゃんとオレが教えてあげるし。わかんないことがあったら何でも聞いていいし、何かあったらオレやみんなが助けてあげるから」 ね、ともう一方の手で三橋の頭を撫でると、それがスイッチだったかのように三橋の瞳からぼろっと涙が零れた。三橋はシャツの袖で必死に涙を拭いながら、嗚咽交じりに、ごめんなさいありがとう、を繰り返した。何度も何度も。 よしよし、大丈夫だよ、頑張ろうね、と繰り返し云いながら、三橋の涙が止まるまで、オレはずっとそのやわらかい髪を撫でていた。 * * * 働き始めてから早一ヶ月が経ち、三橋もどうやら店に馴染んできたようだった。花井は元より水谷やデザートの配達に来るケーキ屋の泉、いつも暇さえあれば店に遊びに来る高校生の田島ともだいぶ打ち解けた。何より驚きだったのは厨房担当の阿部だ。初めは三橋のことを苦々しく思っていたらしく極力関わろうとしなかった阿部だったが(まぁ働き始めの三橋のドジっぷりはちょっと確かに酷かったけれども)、ある日明けてみれば、不自然なほど三橋を気にしだしていた。それも良い意味で。三橋のシフトの日は賄いに異様に力が入っているのをオレは知っているし、三橋が指を怪我したときに真っ先に飛び出していったのも阿部だった。一体、二人だけで閉店を任されたときに何があったんだろうか・・・と以前の阿部を知るオレたちはひそひそ話したものだ。 まぁ口うるさい小姑が消えて、三橋が楽になったのならいいのだけれど、あまりにもあからさまな態度を取られるとちょっとむっとしてしまったりもする(最初に仲良くなったのはオレなのに、なんて狭量なことを考える自分がいたりして)。 それでも三橋が笑顔なのは喜ばしいことで(三橋が笑うとオレもみんな嬉しいし、店内が華やぐ)、オレは、あぁこのときが永遠に続けばいいのにな、とさっきまで三橋が座っていた椅子をぼんやり眺めながら思う。たぶん、すごく幸せなんだ。(なくしたものだけを見つめて生きてきたわけじゃないけれどあたらしいものはなにも得られないと思っていたでもそんなのほんとうはちがったんだオレがただ目をふさいで何も見ないでいただけの話で、) 岸の向こう側にしかないと思っていたものは、ほんとうはオレのすぐ傍にあって、手を伸ばせば触れられるものだということをオレはすっかり忘れていたのだった。 それを思い出させてくれたのは、やわらかな髪とあの笑顔。 カランカランとドアベルが鳴り、買い物袋を提げて、息を弾ませながら三橋が飛び込んできた。 「おかえり、三橋」 「たっ ただい、ま!」 頬を上気させて息を吐く三橋に笑いかけると、三橋もふにゃりと笑った。 「お疲れ様。重くなかった?」 「ううんっ平気、だよっ」 遅くなっちゃってごめんなさい、いつものお店が閉まってて別のところまで買いに行って、でもちゃんと買えたから、とつっかえながらも慌てたように云う三橋の頭にそっと手を伸ばして撫でると、三橋はくすぐったそうに目を細めて笑った。 「ありがとう三橋、ほんとに」 三橋がいてくれてよかった、とぽつり呟くと三橋は不思議そうに何度か目を瞬かせたあとで、ありがとう栄口くん、とはにかみながら返した。 (きみがそばにいてくれる幸福に乾杯) |
西浦レストラン栄口くん篇でした!
手を握る人身掌握術は店長のモモカン直伝です(笑)。
2006.06.11