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  「逃げようか」といったオレにミハシはこくんとうなずいた。 
   
   
   
  あの夏の終わりに 
   
   
   
   ミハシはオレとおなじギシギシ荘に住んでる。年はオレよりひとつ下だ。オレの後ろをいつもハマちゃんハマちゃんって追っかけてくるミハシがオレは大好きだ。茶色でほわほわのかみの毛とかがオレと似てるらしくて、周りの奴らはよくオレとミハシは兄弟じゃないのか?とかきいてくる。オレはあんまり似てないと思うんだけど(だってミハシの方がぜんぜんかわいい)、兄弟っていわれるたんびにミハシがうれしそうに笑うから、まあいっかなって気になる。ミハシの笑った顔はすごくかわいい。 
   ちょっと人見知りのオレのかわいい弟分のミハシは知らない人に会うと、いつも固まって泣きそうになる。ギシギシ荘の前の空き地で遊んでるときとかにおとながたずねてくると、ミハシはぴゃっとオレの後ろにかくれちゃうんだ。でもそのひとが、こんにちは、ってオレたちに声をかけると、ミハシはおそるおそるオレの背中からでてきて、こんにちは、ってちゃんとあいさつする。ミハシんちのおばさんはそういうことにはキビシイみたいで、ミハシはけっこうギョウギがいい(でもミハシの手はオレのシャツのすそをつかんだまんまだ)。 
   ミハシは野球が好きだ。てゆーかミハシに野球を教えたのはオレなんだけどね。それまでミハシはグローブのはめ方も知らなかったんだ。でもギシギシ荘とか学校のやつらであつまって野球をするとき、ミハシはすごくうれしそうに笑ってるからきっとすごく気に入ってるんだと思う。ミハシはたまひろいがうまくて、ミハシが入ってからボールをさがす時間がすごく短くなった。グローブ持ってないっていうミハシにオレのちっちゃくなったやつをあげたらミハシはすごくよろこんで、オレたちは毎日キャッチボールをした。ときどきオレがキャッチャーしたり、ミハシがキャッチャーしたりでバッテリーも組んでた。ミハシは投げるのがすごく好きで、ピッチャーになりたい、っていつもいってた。そのとおりミハシは打つより投げるほうがうまかった。ミハシのたまはグローブをかまえたとこにけっこう入ってくる。お前サイノーあるよ!とほめるとミハシはよろこんで、もっともっと投げるレンシューをする。そうやってミハシはどんどんうまくなってった。あいかわらずのひょろ玉だったけど、コントロールはオレよりよかった。 
   
   夏休みもおわりにちかづいた日、オレたちはやっぱりキャッチボールをしてた。朝のうちはまだそんなにあつくないから、夏休みの間はずっと八時くらいに起きてやってた。ぱしん、ぱしん、といい音がする。 
   いつもならにこにこうれしそうにキャッチボールするミハシがさいきんちょっとおかしかった。人見知りしてウサギとか子ネコみたいなミハシだけど、それがこのごろひどくなった。オレが話しかけてもあんまりしゃべらないし、ずっと何かをかんがえてるみたいにうつむいてる。こないだミハシんちからケンカしてるみたいな声が聞こえてきたからそのせいかな。そういえばそのころからミハシの目は赤い。二年生のわりにはミハシはほかのやつらよりよく泣くけど、それにしたってほとんど毎日はれぼったい目をしてるのはおかしい。大丈夫かなミハシ。なんかあったのかな。だれかにいじめられたとかだったら、オレにいえばすぐそいつのことぶっとばしてやるのに。 
   そんな日がここんとこずっとつづいてたから、今日こそミハシにちゃんと聞こう、とオレはおもった。 
  「なあミハシ。さいきんお前なんかあったか?」 
  「・・・・・・え?」 
  「だってお前、さいきんムクチだし。ずっと目ぇ赤いじゃん」 
   ミハシはボールを投げるのをやめてぎゅっとにぎりしめた。うつむいたミハシの顔はオレには見えない。 
  「なあ、ミハシ。オレにもいえないのかよ」 
  「・・・ぅ、」 
   ミハシがうでで顔をこすった。ちいさくはなをすすりあげる音が聞こえて、オレはあわててミハシのそばに走りよった。 
  「わっ、ミハシぃー。どーしたぁ? どっかイタイのか?」 
   いやいやをするみたいにミハシが首をふった。 
  「じゃあどーしたんだよ。だれかにいじめられてんのか? そんなやつオレがやっつけてやるぞ。ミハシのことはオレがまもってやるからな」 
  「・・・がぅ」 
  「え?」 
  「・・・ちが う。・・・いっ いじめられて、ないっ よ」 
   しゃくりあげるミハシの声が聞きとりづらい。でもそのミハシのことばにオレはちょっとほっとした。よかった。いじめとかじゃないんだな。 
  「じゃあどうした? ・・・・・・もしかして、オレ、なんかしたか?」 
  「!! ハマちゃんはなんにもわるくないよっ!」 
   ばっとミハシは顔をあげて、さけぶみたいにいった。ミハシの目にはやっぱりなみだがいっぱいたまってた。ぼろぼろとほっぺたになみだがながれてく。 
   あのね、とミハシがちいさくいった。ミハシの背中をさすりながら、オレはうん、とうなずいてミハシがしゃべるのをまった。 
   しばらくのあいだ、ミハシは口をひらいたりとじたりした。そんなにいうのにまようようなことなんだろうか。やっぱりしんぱいだ。あと10かぞえるうちにミハシがしゃべらなかったら、もういっかいミハシに聞こう、とおもって、オレはミハシの背中をずっとさすっていた。 
   こころのなかで7までかぞえたところで、ミハシがやっとぽつりといった。 
   
   
   
  「・・・ひっこすんだって」 
   
   
   
   え、といったきり、オレはなにもいえなくなった。なに?ひっこすって、だれが? 
   オレが目をまるくしてミハシを見ると、ミハシはまたうつむいた。 
   
  「ひっこすってなんだよ・・・ミハシが?」 
   ミハシがこくんとうなずく。 
   目のまえがまっくらになった。いきなりあたまをガーンてなぐられたみたいだ。 
  「なんだよそれ! なっ、なんで・・・そんな!!」 
   大声をだしたらミハシがびくっとふるえた。でもそんなことにかまってられない。オレはミハシの肩をつかんでがしがしゆすった。 
  「なんで、そんなきゅうに・・・!」 
  「・・・おじぃちゃんと、なかなおりできたから、って」 
   ふるえる声でミハシがいった。 
   そういえばミハシんちのオヤはカケオチだってまわりのおとながいってた気がする。カケオチってことはミハシのじーちゃんやばーちゃんにケッコンをゆるしてもらえなかったんだな。でもゆるしてもらえて、じーちゃんたちのとこにかえってこい、っていわれたってことか。 
  「どこに、ひっこすんだよ」 
   ミハシがつぶやいたばしょはたぶんギシギシ荘からすごいとおいところだった。ミハシはあんなとおくにいっちゃうのか? 
  「・・・すげーとおくじゃん」 
   会いにいけるかな。すくなくとも五歩でミハシに会えるこのギシギシ荘とはぜんぜんちがう。ぜんぜん会えなくなっちゃうかもしれない。小学校もべつべつになるんだ。毎日いっしょだったのに。 
  「しばらく、そこいたら、こんどはガイコクにいくんだって」 
  「えっ?」 
  「おかぁさんのほうのおじぃちゃんたちとこ・・・おじぃちゃん日本人じゃない、カラ」 
   初耳だった。ミハシのじーちゃんは外人ってことか? だったらミハシもちょっと外人なんだろーか。そういえばミハシの目はビー玉みたいなうすい茶色だし。 
  「・・・いつ、もどってくんの?」 
   ギシギシ荘に、オレのそばに。 
   ミハシはびくっと肩をふるわせて、わかんない、とつぶやいた。オレはなんにもいえなくなって、目の前がまっくらになって、どうしようもない気持ちになった。だってそうだろ? 今までずっといっしょで、いつもいっしょに遊んで、たべて、ガッコに行って、野球だってして、毎日毎日、早起きしてキャッチボールして。それなのにミハシがいなくなる?うそだろ。なんで、なんでなんだよ。 
   くやしかった。くやしくてたまんない。おとなってなんでみんなこんなにかってなんだ! ミハシはぐしゅぐしゅ泣きながら、ごめんねハマちゃん、っていった。 
  「・・・なんでお前があやまんだよ」 
  「だって、っく 、ハマちゃん おっ、おこって る・・・」 
  「・・・・・・おこってる、けど、ミハシにじゃないよ」 
   ミハシをつれてっちゃうおとなとか、ミハシのそばにずっといらんないこととか、ミハシをひきとめらんない自分にとかそういうのに、むかむかする。でもミハシがわるいわけじゃない。それはちゃんとわかってる。だってミハシはやだって泣いてるんだ。 
  「ほん、と?」 
  「ほんとだよ。おれがミハシにうそついたことあったかよ」 
  「・・・ない、よ」 
  「だろォー?」 
   おれが笑うとミハシも、じゃあほんとなんだ、って笑った。よかった、おれミハシは泣いてるよりわらってるほうがスキだもんな。 
  「なぁ、じゃあさいきんミハシがよく泣いてたのってそれのせい?」 
  「・・・・・・うん、おれ、おじぃちゃんとこなんか行きたくないんだもん」 
   ずっとここにいたい、ギシギシそうでみんなと、ハマちゃんといっしょがいい、ずっといっしょにやきゅう、してたい。ミハシはそういうと、また泣き出しそうな顔をした。雨の日にすてられてた子ネコみたいな。しんぞうのあたりがチクチクして、おれはミハシをだきしめた。ちっちゃくてほそっこくて、かわいいミハシ。ふわふわのかみの毛がほっぺたをくすぐった。 
   泣くなよミハシ、ダイジョブだよ、だいじょーぶ。耳元でそう言うと、ミハシはぐすんとはなをならした。ミハシの顔が当たってるところがつめたい。ミハシが泣くとおれはこわくてしかたなくなる。にこにこ笑ってハマちゃんハマちゃんっていつでもおれのあとをくっついてくるミハシ、やきゅうを教えてやってから、いつもうれしそうにキャッチボールをしようとねだるミハシ、クラスの女なんかよりずっと白くてちっちゃくってかわいいミハシ。おれはミハシをまもってやりたかった。泣かせたくなんてないんだ。 
  「・・・・・・・・・にげよっか」 
   ぽつりと言うと、ミハシがゆっくりと顔をあげた。なみだでいっぱいのほっぺたをこすってやると、くすぐったそうに目をほそくした。 
  「にげるって、どこへ?」 
  「わかんないけど」 
  「わかんないの?」 
  「うん、でもずっといっしょにいられるよーなとこ」 
  「ずっと?」 
  「そうだよ、おれとミハシがずっといっしょにいられて、」 
  「やきゅうもできる?」 
  「やきゅうは・・・ちょっとわかんないけど、」 
   ミハシがかなしそうな顔をしたからあわててつけたす。 
  「でもキャッチボールはできるよ。ふたりでへーきだから」 
  「ほんと? ハマちゃんとずっとキャッチボールできるの?」 
   ミハシがうれしそうに笑ったのでほっとした。 
  「もちろん!朝起きてから夕方までできるよ」 
  「そんなに!?」ミハシの声がはずむ。おれも笑った。「うん、好きなだけ」 
   あまいあまいおかしを食べるときみたいにうっとりとミハシは目をほそめた。 
  「・・・なぁ、おれといっしょににげる?」 
   こわくなんてないぜ、おれがミハシのことぜったいぜったいまもってやるからさ。 
   ミハシはちょっと考えたあとに、まじめな顔をしてうなずいた。 
  「・・・・・・うん、おれ、ハマちゃんとにげるよ」 
   だってハマちゃんとずっといっしょがいい。 
   つけたされたそのことばがうれしくて、おれはミハシをぎゅっとだきしめた(もとからだきしめてたけどもっとつよく)。くるしいよハマちゃん、とミハシが笑ってオレも笑った。 
   
   
   
   
   
     *   *   * 
   
   
   
   
   
   ―――結局、オレと三橋の逃避行はその日のうちにあっけなく終わった。こっそりとリュックサックに食べ物と少しばかりの小銭が入った財布(小学校低学年の財布なんてそんなもんだ)を詰めて意気揚々と手を繋いで家を出たはいいものの、子どもの足じゃ隣りの市までが精一杯だった。夜になって、オレと三橋は町外れにある廃工場のフェンス沿いで疲れきってうずくまってるところを巡回中の警官によって発見された。夜になっても帰ってこないオレたちを心配した親たちが捜索願いを出したらしい。発見されたあとは三橋の両親は大泣きし(三橋は歩き疲れて半分眠っていた)、オレはおふくろにさんざん叱られた。三橋が寝ぼけ眼で、ハマちゃんは悪くないよ、と云ってくれたのが救いだった。けれど一日中三橋の手を引いて(後半は殆どおぶって)歩き回った所為か、次の日からオレは高熱を出し、病院に緊急入院することになった。一週間後、ようやく退院したときには、三橋家は既に引っ越したあとだった。あんなに狭く感じた三橋の家の中には何もなく、いやに広く感じた。今でもあの光景を思い出すと寒気が走る。見送りさえできないまま、三橋とは別れ別れになった(あとから聞いた話だが、三橋も引越し当日になってもオレが姿を見せないことで大泣きしたらしい。ハマちゃんが退院するまで引っ越さないと泣きながら云い張ったが、泣きすぎて熱を出し、引越し先の病院に担ぎ込まれたそうだ。三橋らしい)。 
   少し前まで三橋がいたなんて到底信じられない、ガランとした部屋の中でオレは膝を抱えて泣いた。ここに、オレの隣りに三橋がいないことが信じられなかった。あんなに一緒にいたのに。手を伸ばせばすぐに掴めるほど傍に。 
   もしかして三橋なんてやつはここにはいなかったんじゃないだろうかとすら思った。けれど部屋の窓枠にはオレと三橋で背比べをして、こっそり刻んだ傷が残っていて、それだけが三橋のいた証だった。 
   三橋ともっと野球がしたかった。キャッチボールだってかくれんぼだって鬼ごっこだって。もっとたのしいことを教えてやりたかった。裏の林にある甘い木苺がなるオレだけの秘密の場所に連れてってやりたかったし、毎年カブトムシが来る木も教えてやりたかった。やりたいことも見せたいものもまだまだあった。でも三橋はもういない。それが悔しくて、かなしくてたまらなかった。ちくしょう、と泣きながら呻いた。はやく大人になりたい。そうすればこんな思いをしなくて済むのだと思うと悔しかった。 
   けれどやっぱりオレは子どもで、あんなにかなしかったのに、数年も経てば三橋のことは時々、そういえばそんなやつがいたかもな程度にしか思い出さなくなった。はしゃいで、新しい仲間と野球をして、遊びまわって、色々無茶もして・・・。 
   でもあのときと同じ、夏の終わりが来ると、ふとしたときに無性に泣きたくなった。三橋はどうしてるだろう、今でも野球が好きなんだろうか、泣いてはいないだろうか。ギシギシ荘はもうなくなってしまったけれど、似たようなぼろっちいアパートを見るたびに、そしてそこからグローブを持った子どもが駆け出してくるたびにドキッとした。三橋のはずはないとわかっていても、それでもオレはそこに三橋の影を捜していた。夕闇の中、三橋と手を繋いで歩いた夏の日、ずっといっしょにいたいねと笑った三橋の顔はだいぶおぼろげになってしまったけれど、あのときの声音は今でもしっかりと耳に焼きついていた。忘れられるはずがない。 
  「たぶん、あれが初恋だったんだよなあ、オレ・・・」 
  「え?」 
   思わず口に出して呟いた声に反応が返ってきて慌てる。 
  「なんでもねぇ、よっ」 
   誤魔化してやわらかい髪をぐしゃぐしゃと撫でると、わぁっとちいさく声をあげて、それでも嬉しそうに目を細めた。 
  「・・・な、三橋」 
   名前を呼ぶと、なぁにハマちゃん、とあの頃と変わらない声で返事が返ってくる。そのことがどうしようもなく嬉しかった。繋いだ手に力を込めると、三橋もぎゅっと握り返してきた。目が合う。照れくさそうな三橋の笑み。頬が赤いのは夕暮れの所為だろうか。きっとそうなんだろう。オレの頬が赤いのもその所為。 
   あの頃とはお互い色んなものが変わってしまったけれど、変わらないものもたくさんある。だってこうして繋いだ三橋の手の温度も、笑顔もオレはおぼえている。だいぶ広くなった今の歩幅ならあの頃よりもっと遠くまで行けるだろう。 
  「・・・今度さ、休みの日に出かけようぜ。弁当とか水筒とか持って、ずーっと遠くまで。そんで、ずーっと一緒にいよう」 
   今度こそ、と心の中で呟く。もうあんな別れ方はごめんだ。会えなかった月日の分まで一緒にいたい。 
   三橋は、ぱっと顔を輝かせて首が折れるんじゃないかと心配になるくらい大げさに何度も何度も頷いた。 
  「うっ、うん! おれも、ハマちゃんとずっといっしょがいい!」 
   
   オレたちは少しずつ大人になる。ずっと子どもでいられないことをオレは学んだ。 
   けれど、もう決して大切なものを置き去りにはしない。 
   
   
   
   繋いだ手を今度こそ離さないと強く誓った。 
   
   
   
   
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捏造しまくりのハマミハ幼少期でしたが、ど、どうだったでしょうか・・・?
まだはっきりとは明かされていない時代なので、色々と間違っていると思いますが
そこらへんは大目に見ていただけると有難いです。
あ、三橋が外国に行く云々は完全に私の趣味、です・・・三橋が帰国子女だと萌えるよね、という。
時系列的に明らかにおかしいんですが、笑って赦してやってください。
だ、だって萌えるじゃない!(笑)
ハマミハ(というかマイナー三橋受け)がもっと増えることを願いつつ。
06.03.28