イズミハ詰め合わせ

ボクたち大学生、同棲中

 泉くん、もう起きないと遅刻しちゃうよ、とすこしあせった声で布団にくるまった泉の肩をそっと揺するのに、泉は布団のなかでこっそりと笑いを漏らした。
 シャッターが開けられ、カーテンの隙間から朝日が部屋のなかにちらちらと投げかけられ、ベッドに横たわる泉の枕元を照らす。今日もきっといい天気だろう。
 ね、ねえ、泉くん、と困ったように名前を呼び続ける三橋はこうやって一緒に暮らし始めてだいぶ経ったいまでも知らないけれど、ほんとうは泉の寝起きは目覚ましがないと起きられない三橋よりも断然いいのだ。どのくらいかというと、三橋のセットする目覚ましが鳴る三十分前にはいつも目を覚ましているくらい。それでもなぜ泉が目覚ましが鳴っても寝たふりを続けるかというと、それはひとえに三橋があんまりにも一生懸命泉を起こすのがうれしいからという理由に尽きる。
 恋はひとを盲目にするものなのだ。
 毎朝泉は三橋よりだいぶ早く目覚めて、まず時計を見る。日によって違うけれど、だいたい前の晩に三橋のセットした目覚ましの時間よりは早い。おなじベッドで眠る三橋が起きてしまわないようにそっと身じろぎして、すやすやと眠る三橋の寝顔を覗き込む。ときどきだらしなくよだれを垂らしていたり、しまりのない顔でうれしそうに笑っていたり、そんな三橋の様子を見ては泉もそっと笑う。・・・あーあしあわせそうな顔しちゃって一体どんな夢みてるんだか。そう心中でひとりごちて、三橋の肩に毛布を掛け直してやる。むにゃむにゃと何事か呟いて、ころんと泉のそばに転がってくる三橋を抱しめて、髪のなかに唇を落とすと、三橋が笑う気配がした。最初はどきどきしながらだったけれど、三橋がちょっとやそっとじゃ起きないことに気付いてからは、なかば泉の習慣と化してしまっている。
 あたたかな布団にくるまって、腕の中にはいとしいいとしい相手がいて、それ以上のしあわせってあるだろうか?

(以下、本文に続く)


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幽霊ミハシ

「―――みはし、いるんだろ、なぁミハシ、」
 おれが天井に向かって呼びかけると、「いる、よー」とか細い声が降って来た。
 ちょっと出てこいよ、とおれが手招きすると、姿は見えないのにミハシが頭にクエスチョンマークを浮かべたのがわかって、おれは苦笑して、いいから、と呼びなおした。
「? う、うん・・・」と返事と共に、天井のあたりで、空気が蜃気楼みたいに歪んで、すうっとおれと同い年くらいの男が現れた。ステルス虹彩を脱いだみたいにじわじわとからだが現れてくる。普通だったらこの時点でびびりまくるだろうけど、おれは慣れてるから今更驚きはしない。
「泉くん、どうしたの?」
 ふわふわと空中に浮きながら、こてんと小首を傾げる仕草はホラーでもなんでもないのに、存在そのものは間違いなくホラーなこいつは一週間前におれの家に突然あらわれた幽霊だ。初めて部屋に現れたときは死ぬほど驚いたが、寝ずにいろいろ考えていたら、よくわかんなくなって怖がるのをやめた。だってミハシはどう見てもおれのこと呪ったり殺そうとしたりできなさそうだし。そういえばこないだもおれがビデオ屋で借りてきたホラービデオ(ジェイソンとかはらわたとか貞子とか箪笥とか)を観ていたら青褪めた顔でぶるぶる震えていた。自分こそほんものの幽霊のくせに。この部屋から出られないらしいミハシは押入れの中で耳を押さえて丸くなって本気で震えていて、あんまりにもかわいそうになったからおれも途中で観るのをやめた。涙でべちょべちょになった顔がどう見てもビデオのなかの幽霊とは似ても似つかなかった。
 青年と呼ぶより少年と呼ぶのが似合うミハシは線もほそく、色もうすくて(いや別に幽霊だからっていう意味じゃなく、髪の色とか肌とかそういう意味で!)、とても頑丈そうには見えないので、ミハシは病気かなにかで死んだんじゃないのかと思っている。思っている、というのは、情けないことにミハシは自分がどうやって死んで、なぜおれの部屋に出たのかもわからないらしいからだ。気がついたらここにいたんだと云う以外に何の手掛かりもなく、まぁ害もなさそうだし、ひとり暮らしなんて孤独なもんだから人恋しさも相まって、それからおれと幽霊の奇妙な同居生活が始まったのだった。

(以下、本文に続く)


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卒業前日、青春謳歌

 ―――泉孝介くん、あなたが好きです。

 シンとした夕暮れの廊下。人気のない、屋上へ繋がる階段の踊り場でそう告げられた。高窓から夕陽のオレンジ色のひかりが差し込んで、おれの足元を照らす。
 夕焼けと同じくらい顔を赤くして、恥ずかしそうに、名前も知らない彼女はおれを好きだと云う。背中の真ん中くらいまであるサラサラできれいな黒髪、すっと伸びた背筋、手の甲まで隠す白いだぼっとしたセーターと、ちょっと短めのスカート。そしてそこから伸びるすらりとした、でも女の子らしい細い脚。何処から見ても百点満点をもらえそうなかわいい女の子だった。
 たどたどしく彼女はピンク色の唇を開いて云う。泉くんとは二年生のときから委員会が一緒で、そのときからいいなあって思ってて、それに野球部の試合もよく見に行ってて、すごくかっこいいなあって・・・。
 おれは黙ってそれを聞いている。うん、ああそうなんだ、ありがとな。ときどき返事をかえすと、その子はうれしそうに、はにかむように笑った。
 見ているだけでいいって思ってたんだけど、でも、もうすぐ卒業でしょ? もう会えなくなっちゃうし。だから、その前に、云っておきたくって。・・・よかったら、わたしと付き合ってもらえませんか?
 きれいな色に塗られた爪先を気にするように、お祈りするみたいに胸の前で手を合わせて、彼女は云った。
 ああ、かわいいなあ、と思う。大人しそうな子だから、おれにこうやって告白するにも、きっとめいっぱいの勇気を振り絞ってくれたんだろう。彼女が身じろぎするたび、黒髪がさらっと揺れて、夕焼けのひかりを反射させる。きらきら。とてもきれい。
 それを見ながら、おれは口を開く。
 ―――・・・ありがとう
 ぱっと顔をかがやかせる彼女に、申し訳ないなあと思いながら、おれは続きを口にした。
 ―――でも、ごめん。きみとは、付き合えないよ
 だっておれはずっと委員会で一緒だったっていう、きみの名前も知らないんだ。ぜんぜん興味がなくて、だって、おれがすきなものはもうとっくの昔に決まってて、おれはそれ以外のことはどうだっていいって思う、ヒドイやつで、きみみたいな子にはふさわしくないんだ。
 沈黙が落ちた。開いた窓から、部活の声が風に乗って響いてくる。にしうらー、ファイオーファイオー、いくぞーラスト3周、ほら早く集合してー。いろんな部活の声が届いてくるけれど、そのなかにおれはもういない。元々おれたち野球部の使うグラウンドは本校舎から離れていて、声が届くはずもないんだけれど、それでも胸がくるしくなった。部活を引退して、受験生になって、一生懸命活動している野球部のそばを、参考書片手に通り過ぎるのは、なんだかすごくへんな気分だった。おれはまだあそこにいたいのに。練習して汗かいてマネジのおにぎり食ってどろどろのへろへろになって家に帰りついて、風呂入って飯食ったらすぐ寝ちゃって。そんな部活漬けの生活を送ったりして。
 でももうあのダイアモンドに、おれの居場所はない。顔を見せに行けば、後輩は喜んでくれたけど、でもやっぱりあそこにおれの、おれたちの居場所はないんだ。
 おれたちが、あんなにも焦がれた背中を見ることもない。
 ―――ごめん。
 おれは繰り返す。ごめん、やっぱりおれはだめだよ。
 もっといい男見つけなよ、だなんて無神経な言葉は云えなかった。(だってそんな簡単にスキって気持ちを切り替えられるなら、おれはきっとこの子と付き合えてた、)(こんなにくるしい気持ちを抱えることもなかったんだ)
 しばらく経って、・・・そっか、とぽつりとちいさな声でその子が云った。そっか、やっぱりだめかあ。泣きたいのを堪えているような、そんな表情で、それでも彼女は笑ってくれた。まあね、そんな気はしてたんだ。ふふふ、とわずかに笑い声が震えた。・・・でもね、やっぱり伝えたいって思っちゃうんだよねぇ。
 そういうの、わかるかなあ?と目元を赤く染めて、笑う彼女に、ああ、と頷いた。ごめんな、でもありがとう、すごくうれしかった。
 おれに、にこりと微笑んで、ぱたぱたとスカートをひるがえしながら階段を駆け下りてゆく、その背中をおれはじっと見送った。
 告白されてうれしかったのはほんとうだった。それでもこころのどこか半分くらいで好きな相手に衒いもなく「好きだ」と告げられる彼女を憎らしく思った。(・・・おれだって、おれだって、云えるもんなら、)
 ぎゅっと目を瞑って、彼女の言葉を思い出す。わかる、わかるよ。誰だって好きなひとに好きって伝えたい。この気持ちをわかってもらいたい。ずっと一緒にいたくて、別れが近付くのがこわくて、このまま何も告げずにいたらずっと友だちではいられるけど―――けど、それだけだ。おれじゃない誰かが、あいつの傍で笑っている未来を想像するのがいやだった。おれじゃない奴に笑いかけ、おれじゃない奴とたのしそうに話すおまえを見るのがいやで、それでもこれ以上進むのがこわかった。この気持ちを告げて、もしおまえに拒絶されたらと、そればかりがこわくて、気がついたらこんなに時間が経ってしまった。一年の夏におまえに好きになって、二年の冬に諦めようと思って、やっぱり諦めきれなくて三年の春に、もう一度おまえに恋をした。
 もうすぐ、きっとあっという間にまた時間は流れて、おれたちは卒業して、別々の大学に進んで、連絡も滅多に取らなくなり、そうして同窓会やなにかでたまたま会ったとき、笑いながら、ああ高校のときこいつのこと好きだったんだよな、だなんてこの想いも、思い出話にできるようになるんだろうか。こんなに、おまえのことを考えるたび、胸がこんなにも痛むのに。
 なあ、おれはいったいどうしたらいいんだろう。


(―――なあ、三橋・・・・・・・・・・・・)


(以下、本文へ続く)





こんな感じですー。
2007.11.11発行