冷えた君の指先を
あたためるのは僕じゃない
握った手が冷えていたのはオレのせいだ。
好きだと云った。お前が好きだ、って。三橋は?なんて訊かなかった。訊けなかった。知ってるよ。知ってるけど、それでもお前が好きだった。お前がすきですきでしかたなかったんだ。ちくしょう。馬鹿みたいだ。そんなのわかってる。勝ち目がないのだってとっくに判りきってたんだ。でも云いたかった。オレはお前がすきですきでしょうがなくって。でもお前はそれを知らなくって。なんだよそれ。理不尽だって思った。不公平だと。
かなわない夢をみていた。もしかして、あいつよりもうすこしはやくオレがお前にスキだって云って、手を握って、そしたら、もしかして三橋はオレを選んだんじゃないだろうかと。けど、そんなのは嘘だった。オレはそれがいちばんありえないのをいちばんよくわかってた、はずだった。でもどうしようもないよ。お前がすきなんだ、三橋。泣きたいくらいにすきですきで、お前のことを考えない日なんてないよ。
お前が好きなんだ。
放課後の空き教室。三橋は日直で、オレも日直だった。オレと三橋はどっちも苗字がミで始まるから、クラスが違っても出席番号は大体同じくらいになる。日直をサボって二回分やらされるやつとか欠席とか、そういうのが重なってちょうどおんなじ日に日直をやることになった。
日誌をてきとーに真面目に6限目の授業中に書いちゃって、オレは教員室で日誌を書いてる担任に出しに行った。おっ真面目に書いたか〜?と笑う担任に、やだなーせんせ、オレ真面目っすもん、と笑い返した。オレははやく部活に行きたかった。三橋の顔を今日は見てない。はやく見ないとなんだか落ち着かない。ほんと中毒だなあ、と思う。でもしょうがないよな、好きなんだから。そんなオレの考えを知ったこっちゃない担任は、偉いぞ水谷ー、じゃあついでに九組の先生にプリント渡してきてくれないか、多分教室にいるから、と余計な仕事を押しつけていった。自分はお茶飲んで暇そうじゃん、とか、自分で行けよ、とか、云いたいことはいっぱいあったけど、とりあえず全部飲み込んで、せんせーオレを使った代償はたかいぜ、と云ってプリントを受け取った。担任は笑いながら、これで頼むよ、と40枚くらいのプリントと一緒にカラフルな包み紙の飴玉を2,3個よこした。安いな〜と思ったけど、ありがたく頂戴することにした。りょーかいです、と飴を持ったまま敬礼をして教員室を出てった。めんどくさいけど、しょうがない。九組、という言葉にどうもオレは弱い。ほんとに弱いのは九組のある人物なんですけどね。とりあえずオレは急ぎ足で九組に向かった。もしかしたら三橋もまだいたりして。そんな淡い期待を胸にしながら。
廊下は窓から差し込む夕陽でオレンジ色に染まっていた。カキーン、と遠くの方で小気味いい金属音が何度も響く。やばい、野球部はもう練習始めちゃってる。モモカンに頭を握られたらどーしよ。三橋とか田島が何回かやられてるのを見たけど、あれは痛そうだった。ぺたぺたと履き潰した上履きが静まり返った廊下に音を立てる。生きてるものなんて何にもないような気がするほど、校舎内は静かだ。グラウンドの運動部の掛け声とか笛の音だけがなんとかその考えを振り払わせる。窓から外を見下ろすと、夕陽が校庭の木に隠れたり出てきたりで、オレの歩みに合わせるようにきらきらと瞬く。きれーだな。そんなことをぼんやり考えているうちに九組に着いた。閉まっていた扉をがらがらと開く。失礼しまーす。小声でそう云ったけど、先生はいなかった。なんだよ、誰もいねーじゃん。呟いて教室をぐるっと見回した。・・・あ、いた。教室のいちばん後ろの列のいちばん窓際の席。三橋だ。机の間をすりぬけて三橋の机のところに行った。三橋は寝ていた。頭を乗せてる両腕の下には日誌があった。多分、書いてるうちに寝ちゃったんだなあ。三橋らしい。窓際の席は特等席だ。日当たりも良くて、ついつい眠たくなってくる。この心地良さは学生なら誰しも一度は経験するもんだ。左耳を腕で塞ぐようにして横向きで眠る三橋の顔は穏やかだった。よく寝てるなー。呼吸するために小さく動く唇と、時折睫毛をこまかく震わせる以外は三橋はまったく動かなかった。オレはプリントを三橋の前の机に置いて、三橋の眠る横に肘をついて、三橋の寝顔を見ていた。三橋の横顔は夕陽に照らされてオレンジ色に染まっている。かわいいなあ。やっぱり好きだなあ。そう思った。三橋はすーすーと穏やかな寝息を立てている。あ、今なら、キスしてもバレないかも。そんな考えがふっと頭をよぎる。三橋はよく眠ってる。きっと唇にふれてもきっと気付かない。三橋は、もうあいつとキスとかしたんだろうか。そんなこと考えたくもなかった。あいつが三橋を好きで、三橋もあいつが好きで、二人は付き合ってるんだから、いつかそういうことにもなるだろう。でもそんなことオレは知りたくなかった。オレが知りたいのは三橋の唇の感触だった。きっとわからないさ。気付きやない。バレないよな。心臓がうるさいくらいにどきどきと鳴っていた。三橋、ごめん。ああオレってなんて卑怯者なんだ。そう思いながらも気持ちは止まらない。好きだよ三橋。ほんとにほんとに好きなんだ。三橋の息が顔にかかる。ぐっと力を込めた腕の下で机がギシッとおおきな音を立てて軋んだ。その音に驚いて、オレはあわててからだをひいた。腰の辺りで後ろの机にぶつかって、机と椅子がガチャンと音を立てた。その音で目が覚めたのか、三橋がゆっくりとまぶたを開く。焦点の合ってない瞳で三橋はぼんやりと辺りを見ていたが、とてもおさない仕草で両手で目をごしごしとこすった。そうして何回かまばたきした後でやっとオレに気付いたらしく、驚いた表情でオレを見ていた。・・・よ、オハヨ、三橋。なるべくニヤッといたずらっぽく笑ったつもりだったけれど、うまくいったかはわからない。あいかわらず心臓はバカみたいに鳴っていた。多分ひきつった笑顔を浮かべていたと思うけれど、寝起きでぼんやりとしている三橋は気付いてないみたいで辺りをきょろきょろと見回してた。あっ! と三橋が叫んで椅子から飛び上がった。そうだ、オレ 今日日直で、日誌書いてて でも終わんなくて、そしたら眠くなってきちゃって・・・あぁっ! ぶ、部活・・・!! 三橋は泣きそうな顔で教室の前に掛かっている時計を見た。部活はとっくに始まってる時間だ。ど、どうしよ オレ・・・とオレの方を振り返る三橋の目にはすでに涙がたまっていた。ああ、なんてかわいーんだろ、こいつは。そんな不純なことを考えながら、オレは三橋に笑いかけた。大丈夫だってー、日直だったんだろ。だったらしょうがないって。オレも日直だったんだ。担任に九組のセンセにプリント届けて来いって云われて来たんだけど、せんせーいないしな。そしたら三橋が気持ちよさそーに寝ててさ。聞かれてもないのにぺらぺらと喋るのは、きっと後ろめたいことがあるからだ。でも三橋は、そう なんだ・・・と納得したようだった。じゃあ 水谷君もはやく行かないと、と三橋は云った。いいよ、待ってる。ここまで来たんだし、一緒に行こうぜ。そう云うと、すまなそうに三橋はオレを見たが、ちょっとほっとしたようだった。三橋は、ヒトリが嫌いだ。ごめんね、ありがとう、と三橋は云った。気にすんなって、と云いながらオレの目はつい三橋の唇に引き寄せられていった。もうちょっとだけ時間があったらな、と思った。そしてそんなことを思った自分を最低だと思った。唇が乾いたのか三橋はかるく唇を舐めた。無意識的なその仕草にヨクジョーしてる自分はなんてきたないんだろ、とやっぱり思う。でもしょうがないさ、スキなんだから。免罪符みたいにそう繰り返す。好きだったら何してもいいんだろうか。すくなくともあいつはそう思ってるんだろうか。凶暴な気持ちがせりあがってきて、吐き気がした。遠くでまたカキーンと金属音がした。三橋がぴくっとその音に反応した。そして見えもしないマウンドに視線をはせたのがわかった。三橋はオレの方を見てるけれど、三橋が見てるのはオレなんかじゃない。三橋が見てるのはあいつだけだった。ちくしょう。三橋、今お前の前にいるのはオレなんだぞ。あいつじゃない。そう思った。三橋、と呼んだ。三橋ははっとしたように焦点をオレに合わせたようだった。水谷 くん? とすこし驚いたようにオレの名を呼んだ。三橋の濡れた唇がオレの名前の形に動く。その響きはとても心地良かった。どうかしたの、具合わるいの、と心配そうに三橋はオレの方に右手を伸ばした。具合はいつだってわるい。でもこれは医者にも草津の湯にも治せないんだ。治せるのはお前だけなんだぜ、三橋。そっと気遣うように伸ばされた三橋の右手を握った。ひゃっと三橋が声をあげた。三橋の手は寒々しい教室にいた割には冷えていなかった。それとも、冷えていたのはオレの手の方だったのだろうか。三橋、とオレはまた呼んだ。三橋のおおきな瞳がオレを捉える。三橋の唇は唾液に濡れてつやつやとひかっていた。引き寄せられる。
三橋、オレ、お前が好きだ。
口が、からだが勝手に動いていた。三橋の瞳がおおきく見開かれた。その瞳から涙が零れ落ちないうちに、オレは走って三橋の前から逃げた。来たときと同じ、誰もいない、生きもののにおいすらしない廊下を走って逃げた。変な風に履き潰した上履きは走りづらくて、ばたばたとうるさいくらいに音を立てた。それでもオレはめちゃくちゃに走っていた。何処に向かってるのか自分でもよくわからなかった。ちくしょう、ちくしょう。泣きたいくらいに胸がくるしかった。息ができないくらいに締めつけられる。思い出すのは、三橋の表情だ。オレは走るのをやめた。ゆっくり歩きながら、三橋はどう思っただろうか、と思った。トモダチだと思ってたやつに、急にあんなことされて、裏切られたと思ったろうか。呼吸が苦しいのは、罪悪感だろうか、それとも全力疾走の名残だろうか。ごめん、三橋。傷つけてごめんな。泣きたいくらいに苦しかった。握っていた三橋の手が冷えていったのを思い出す。オレのせいだ。三橋、オレ、お前が好きだ。そう云ったときの三橋の表情ももう思い出せなかった。覚えてるのは、三橋の唇の感触だけだった。好きだと云って、ぶつけるように無理矢理に押しつけた唇は、それでもやわらかかった。このまま世界が終わればいいのに。そう思った。頭の奥がじんじんと痺れていた。それは甘く、くるしい感覚だった。ごめんな三橋。そう思いながらも、甘く痺れるような恍惚感があった。でもそんなのは一瞬のうちに過ぎ去ってしまう。金属バットが球を打ち返す、その音がオレを現実に引き戻した。最低だ。オレは最低で最悪な卑怯者だ。三橋は、と思う。三橋は今頃泣いているだろうか。きっとこのことは三橋のこころを重く蝕むだろう。ただでさえ不安定でぐらぐらしている三橋をさらに苦しめることになるだろう。ごめん、ごめんな三橋。何度も何度もおんなじ台詞を繰り返す。でも好きなんだよ三橋。お前がほんとにすきですきで、どうしようもないほど好きで、泣きたくなるくらいにお前が好きで、死んでしまいそうなくらいだったんだ。それでもキスした唇はやわらかかった。三橋はオレのものにはならないけれど、あの一瞬だけ、三橋はオレだけのものだった気がした。ちくしょう、とうめいた。返事は聞くまでもなかった。三橋はオレのものにはならない。冷たくなった手。見開かれた瞳。その全部が答えを物語っていた。それでも三橋、オレはお前が好きなんだよ。どうしようもなくすきですきでたまらなくって、お前はオレのものにはならないけれど、それでもあの一瞬の三橋はオレだけのものだった。誰のものでもなく、あいつのものですらなく、オレだけのものだ。
オレだけの、ものだ。
それでも滲んだ視界はオレンジ色のひかりでいっぱいになった。
ごめん、と何度繰り返してみたところで時間は巻き戻せない。今までどおりの関係ではいられない。あふれ出した気持ちは氾濫して、オレの脚を絡め取る。それでも三橋、オレはお前を好きだったんだ。この気持ちは変わりはしない。オレがお前のことを考えない日がないように、お前がオレのことでいっぱいになればいい。
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水→ミハです。ミハはもう誰かとくっついちゃってます。
私的にはアベミハ←水のつもりだったんですけど、誰でもとれるかな、と思ったので
とくに表記はしませんでした。好きな人を当て嵌めてくれて構いませんよ(笑)。
(それにしても私、水谷君は片想いしか書いてないです。ごめん水谷君・・・)
2004.12.30