ツンデレと名前と幸福の瞬間


 最近、ぼくの日常はとてもたのしい。
 たいして凹凸のないぼくの人生だったけれど、いまが人生の絶頂期なんじゃないかっていう勢いで毎日満たされている。中2のときにいろいろあって、住んでいた街から夜逃げ同然に引っ越して転校した失意のぼくだったけれど、そこで出会ったのは運命のひとだったのです、だなんてすごくドラマチックじゃない? よくぼくの顔にひっかかってくる女の子たちが好きそうな少女めいた妄想だけれど、この場合それ以外説明しようがないのだから仕方がない。まぁ、それ以前にぼくは失意でもなんでもなかったけれど。
 ぼくが毎日たのしく過ごせているのは、ほとんど生まれて初めてできた親友のおかげだ。学校なんてめんどくさくて、最低限進級に必要な日数しか登校していなかったぼく(といっても学校では“病弱だから”という設定で通っていたらしいから支障はなかったけれど。外面ってこういうとき便利だ)が、きちんと月曜から金曜まで学校に一時間目からいるなんて奇跡みたいなものだ。毎朝、笑顔で家を出ていくぼくを弟が、まるでエイリアンでも見るような目で見ていたのはまだ記憶に新しい。まったく失礼なやつ。
 足取りも軽く学校に向かい、教室に入る。すると、ぼくに気付いた遊戯くんは、嬉しそうに笑い、手を振ってくれる。おはよう、獏良くん。ふわりと花が咲きそうなこの笑顔で挨拶をされるためだけに、完璧夜型生活のぼくが毎日7時に起き、それは三年になった今でも継続されているのだ。
 これって実はかなり奇跡的だ。
「おはよう、遊戯くん」
 ぼくも微笑んで挨拶を返す。―――ぼくにそこまでさせられるのは世界中捜してもきみひとりっきりってことを、きみはわかっているのかな。ねぇ、遊戯くん?

***

 3時間目が終わったあと、遊戯くんは嬉しそうにくるんとぼくの方を振り返った。
「ねえ、獏良くん。今日、獏良くんの家に遊びに行ってもいい!?」
「・・・・・・ぼくんちに?」
 急な言葉に、ぼくが不覚にも驚いて瞬きをすると、遊戯くんははっとしたように頬を染め、「ごめん・・・さすがにいきなりすぎるよね」と前に向き直ろうとするので、ぼくはあわててその肩に手を掛けて引き止めた。
「そんなことないよ! 遊戯くんならいつでも大歓迎って云ったでしょ?」
 にっこりと音がしそうなほど完璧に微笑むと、遊戯くんもほっとしたように笑った。
「ほんと? よかった〜」
「でも遊戯くんこそ平気なの?」
 今までずっとぼくの、家に遊びに来ないかという誘いを断っていたのは、遊戯くんの・・・もとい遊戯くんの番犬である彼のきょうだいがゆるさなかったからだ。ほとんど妄執に近く遊戯くんを溺愛してやまない彼の片割れは、自分以外が遊戯くんに近付くことを嫌って、朝夕の送り迎えを欠かさずにいたし、ひとりでの外出も認めなかったくらいなのだ。ていうかさ、これってほとんど軟禁に近いんじゃないの? 現代日本にあるまじき行動に呆れるけれど、それに付き合ってあげちゃう遊戯くんも大概甘い。やさしくて、メープルシロップ漬けの砂糖菓子みたいに繊細な遊戯くんは、けれども、どうしても嫌なことは嫌だと云える芯の強さを兼ね備えているひとなので、それをつっぱねないということは苦笑いしながらも容認しているんだろう。
 それでも何処からどう見ても彼の行動はほんとにかーなーり行き過ぎだと思う。だって遊戯くん、中学3年にもなって、肉親以外と出かけたことがないって、それは結構どころかものすごく異常な状況だよ?
 そんな偏執狂かつ嫉妬の王様みたいなきょうだいを持つ遊戯くんはにこにこと笑う。
「さっきね、アテムからメールが来て、今日は迎えにこれないって云うんだ」
「・・・アテムくんが?」
 ぼくが驚いて聞き返すと、うん、と遊戯くんは頷いた。
「バスケの助っ人に行くんだって。でも部活とかじゃなくてストリートの結構あぶないところだからボクを連れてきたくないみたい。だから今日は迎えにこれないって」
「へえ〜」
 実はね、と遊戯くんはちょっと声をひそめる。
「・・・最近ね、アテムに友だちができたみたいなんだ。別の学校のひとらしいんだけど、よく電話とかしてて、すごくたのしそうでね・・・」
 遊戯くんがそこで言葉を切って俯いたので、ぼくは思わず言葉を挟みこむ。
「・・・さびしい?」
「え? ううん。全然さびしくなんかないけど」
 ぱっと顔をあげた遊戯くんはあっけらかんとそう云った。
「むしろすっごいうれしい!!」
 真夏の太陽みたいな満面の笑みだった。・・・アテムくんご愁傷様。
 でもさーボクには会わせてくれないんだよね、アテムが友だちに選ぶくらいだからきっとすごくいいひとだと思うからボクも会ってみたいんだけどなあ・・・と遊戯くんは可愛らしく唇をとがらせて、拗ねた口調。アテムくんと違って、遊戯くんには危機感がないのだ。もし自分の大事な片割れがだれかに取られちゃったらどうしよう!っていう焦りも何も。
「・・・アテムくんも報われないなー」
「? 獏良くん、何か云った?」
 ぼそりと口のなかで呟いた言葉を聞き留めたらしい遊戯くんに、何でもないよ、とぼくは微笑んでみせる。まぁこっちとしては大いに結構なんだけどね。
 誰かのうちに遊びに行くなんて久しぶりだからどきどきするなあ、と笑う遊戯くんにぼくもうれしくなる。
「そんなに緊張しないでもいいよ。家には誰もいないだろうし、まぁいたとしても弟だから別に気にしないで」
 ぼくの言葉に、そういえばさ、と遊戯くんが思い出したように切り出す。
「獏良くんの弟くんって何て名前なの?」
「ん? ああ、バクラ」
 ぼくが答えると、遊戯くんは苦笑する。
「・・・・・・それは、名字だよね」
 その様子に、ああ、とぼくはやっと気付いて、手を打った。そういえば、それがぼくにとってはあんまりにも自然だったから、その呼び方が一般的ではないことをすっかり忘れていた。
「うん、あいつね、自分の名前が嫌いなんだよ。だから絶対にひとに名前で呼ばせないの」
 だからぼくは子どもの頃からずっとあいつのことは、バクラって呼んでるんだ。
 そう云うと、遊戯くんはすこし驚いたように、ふうん、と云った。・・・そうなんだ。
「じゃあぼくも“バクラくん”って呼んだらいいのかな?」
 遊戯くんは、ちゃんとぼくを呼ぶときとはわずかにニュアンスを変えて、その名を呼んだ。その差異が嬉しくて、ぼくはにっこりと笑う。
「・・・うん、そうしてやって。まぁ“くん”付けも必要ないくらいだけどね」
「まだ会ったこともないのに、いきなり呼び捨てなんて、失礼じゃない・・・・・・?」
 失礼どころか小躍りして喜びそうだけれどね、とぼくは思ったが黙っておいた。遊戯くんは、その会ったこともない相手に一目惚れされていることを知らない。ぼくも云う気はないけどね。(バクラのくせに遊戯くんに、だなんて生意気な!)
「あ、じゃあ代わりにぼくのことを名前で呼ぶ? それならわかりにくくないでしょう?」
 ぼくの提案に、遊戯くんは、こくこくと頷き、試しにとばかりに、ぼくの名前を呼んだ。
「・・・・・・えっと、了、くん・・・?」
「うん、遊戯くん」
 遊戯くんは両腕を机の上にぐっと伸ばして、了くん、リョウくん、りょうくんかあ・・・、と何度か呟いたあと、口元を覆うように顔の前で指先を合わせた。ふふふ、と照れくさそうに笑う。
「・・・なんか、友だちのことを名前で呼ぶのって、すごく新鮮な感じ」
 だって名前で呼ぶのってアテムと、あとはちっちゃい頃の友だちくらいだったし。唇の端がきゅっとあがり、遊戯くんは嬉しそうに目を細めた。頬がピンクに染まる。
「・・・へへへ〜、でもすっごくうれしいな!!」
 ――ああ神様、このにっこりと笑み割れる可愛いひとはほんとにアレと同じ人間なんでしょうか?
「・・・二次元より萌えるリアルってすごいよなあ」
「? なにが?」
 ぼくの言葉に小首を傾げる遊戯くんに笑って、なんでもないよ、とぼくが返そうとしたとき
「―――おい!武藤遊戯!!」
 教室のドア付近から怒号に近い声が飛び込んできて、遊戯くんはびくんと肩を跳ねさせた。
 あわてて声のした方を振り返り、あっ、と声をあげる。
「マリクくん!」
「・・・げ」
 廊下に腕組みをしてふんぞり返っているのは隣のクラスのマリク・イシュタールだった。こいつは遊戯くんとおなじ園芸委員で、おジャマ虫その3だ(勿論その1は云わずもがな)。
 マリクは不機嫌そうな顔で、遊戯くんに向かって人差し指を突きつけた。まったく教育がなってないね。
「武藤遊戯、おまえ昨日花壇の水やり忘れて帰っただろ」
「えっ! うそ、ボクの番って今日じゃなかったっけ!?」
「今日が僕の番だよ。おまえは昨日。先週の委員会でそう決めただろ」
「・・・・・・うわあ、ごめん・・・・・・・・・ボクてっきり・・・ひ、昼休みに行ってくるよ」
 遊戯くんがしょんぼりと眉を下げると、マリクは顔を逸らしてあらぬ方向を見つめたまま、わかりやすく上擦った声で焦ったように口を開いた。
「き、昨日の分は僕が代わりにやっといたからいい!」
「えっほんと!? わーありがとう、ごめんねマリクくん!」
「・・・べ、別におまえのためじゃないんだからな! は、花が!そう、水をちゃんとやらないと花が可哀想だからであって、べべべ別に、おまえのフォローをしてやったとかそういうわけじゃ決して・・・・・・!!」
「・・・・・・うわーベッタベタ」
 褐色の肌を(マリクはエジプトからの留学生だ)赤く染めてしどろもどろに云い募るマリクはどう見てもツンデレの生き標本といった体だけれど、かなり鈍めの遊戯くん(このぼくのアプローチにも無反応なくらいなんだからね!)はまったく気付いていないらしく、にこにこと笑っている。
「じゃあ今日はボクが水やりしとくねー」
「・・・・・・・いいよ。今日の当番は僕なんだし、は、鉢の植え変えの続きやりたいし・・・」
「でも悪いし・・・あっ、じゃあボクもそれ手伝うよ!」
「!! へ、平気だって云ってるだろ! ら、来週は忘れるなよ、武藤遊戯」
「・・・う、うん・・・・・・あとさ、そのフルネームで呼ぶのやめない? 普通でいいよ」
「・・・・・・・・・『武藤』って云うとファラ・・・・・・他のむかつく知り合いのこと思い出していやなんだよ」
 苦々しそうに云うその言葉に、ぼくはなんとなくピンときてしまった。武藤・ファラオと来たら間違いなく“彼”のことだろう。マリクが何処で彼のことを知ったのかは謎だし、遊戯くんのきょうだいだと認識しているかどうかもあやしいけれども。
 自分の双子が『ファラオ』と呼ばれていることなんてまるで知らない遊戯くんは、ふうん?と半音あげたトーンで首を傾げた。
「あ、じゃあ『遊戯』でいいよ。ボクもマリクくんって名前で呼んでるしさー。ね」
 にこにこと笑って自分を指差す遊戯くんに、マリクはトンカチで頭を殴られたような顔をした。
 思ってもみなかったらしい僥倖に、口をぱくぱくさせた後、ひっくり返った声で「ま、また今度な!」と叫んで、ツンデレ・・・もといマリクは脱兎のごとく走り去っていった。ぽかんとする遊戯くんの横でぼくは、笑いを零すのみだ。あれはバクラより重症だね。
 遊戯くんは目をぱちくりさせたあと、ぼくと目を合わせて苦笑した。怒らせちゃったかな、と困ったように笑う遊戯くんに、きっと用事を思い出したんじゃないかな、もうチャイムなるしさ、とにこりと返しておいた。
「・・・でもマリクくんっていっつも教室入ってこないでドアのところから声かけてくるよね。『他のクラスには入っちゃいけません』っていうのちゃんと守ってるのかなー」
 えらいなあ、とのほほんと云う遊戯くんに、ぼくは「・・・そうだねー」とだけ返しておいた。
 遊戯くん、それはね、あいつがうちの弟と同じ人種で好きな子とは近付くと照れてしまってロクに会話もできないってタイプだからなんだよ、とわざわざ知らせてやるべくもない。そんな自分から積極的にアクションを起こせないような奴らに、ぼくの可愛いかわいい遊戯くんを近付けさせてたまるかっていうんだ。
「それよりさ! 遊戯くん、もし良かったらそのままうちに泊まってっちゃいなよ! 明日休みだしさー、ね、いいと思わない? 夜通しお菓子食べながらゲームとかしてさーすっごくたのしいと思うよ〜」
 そう云うと、遊戯くんはぱっと目を輝かせた。
「うわーそれ良いなあ!! ボクんち遅くまでゲームやってると怒られるんだよね〜」
「次、いつ遊戯くんと遊べるかわかんないしさ。そうしなって。あとでうちから電話すればいいよ」
「うん。聞いてみるよ! ありがとう、ば・・・」
 とそこで遊戯くんは一瞬云いよどんでから、にっこりと笑いなおした。
「ありがとう、了くん!」
「・・・どういたしまして、遊戯くん」

 そう云って笑うぼくは、きっと世界中でいちばん幸福な顔をしているに違いない。



調子に乗ってつづけてみました!獏良くんを書くのはほんとうにたのしいです・・・^^
とりあえずおジャマ虫その3(獏良くん談)のマリクも出してみましたよ!
ほんとは年下にしたかったんですが、すると高校進学したときに困るかなーと思ったので。
ああ、云うまでもないかとは思いますが、おジャマ虫その1はアテムです。その2が抜けているのは仕様(笑)。
もうひとりは一応ちゃんと決めてはあるので書きたいなーとは思います・・・が・・・・・・(´∀`)
夢と風呂敷は広がるばかりだぜ!(笑)
とりあえずそろそろアテムか城之内くんのターンにしたいのですがどうかなあ。
2007.12.16

【18日追記】
わー!済みません!!いちばん冒頭のところ間違えてました・・・!
高2と書いていたんですが、中2の間違いです・・・いま修正しました。
みんな中学3年生です。紛らわしいことして済みませんでした・・・・・・orz