ある昼下がり、車中にて
―――ねぇ海馬くん、と遊戯がすこし困ったように呼んだ。隣に座る男からの返答はないが、いつものことなので頓着せずに遊戯はつづける。ねぇ聞いてるの?その穏やかな相貌にいささかの不安を滲ませて、そっと彼の学生服の裾を握る。 めずらしく、―――およそ一月半ぶりに教室に姿を見せた社長業を営むクラスメイトの姿に、ぱあっと顔を明るくして、親友の城之内に止められつつも、挨拶を交わしたのは昼休み終了のベルがなる前のこと。 そしてその10分後、遊戯は彼と共に車中のひととなっていた。・・・何でこうなるかな。 「〜〜あのねえ海馬くん! ボクこれから授業だったんだよ。っていうかキミもそうなんだけど。出席とってないし、鞄だって置いてないから欠席扱いになっちゃうじゃん!5限は物理があるからレポートも出さなきゃだったし、ボク物理苦手だからレポート点で稼がなきゃいけないのに。それに体育はタイム測定だったし、あれサボったり休んだりすると、みんなの前でひとりっきりで走らされるんだからね!!そりゃ海馬くんは足速そうだしいいかもしれないけどボクは足遅いし、今日はHRで数学の小テスト返ってくるし、ってことはボク放課後に追試受けなきゃいけないし、それに、」 指折り予定を数えながら、今日は城之内くんのデッキ見る約束してたのに、と遊戯がぽつりと零した途端、ようやく遊戯を車に押し込んでから、身じろぎもせずに書類に集中していた顔が遊戯をとらえた。眉間には険しい皺。 「・・・・・・俺の前でその名を出すな」 「・・・やだよ。だって城之内くんはボクの大事な友だちだもん」 地を這うような低い声にも動じずに、遊戯はムッと云い返す。見るからにいじめられっ子然とした遊戯だが、案外臆せずにズバッとものをいうタイプだ。それが生来からの性格だったのか、もうひとりの遊戯の影響なのかはわからないが、大抵の人間が震え上がる海馬の不機嫌な表情を前にしても怯むことなく、彼の顔を真正面から見つめ返す。 「理由くらい云ってよ。なにかボクに用だったの?」 「・・・・・・」 海馬は答えずに、いっそう苦虫を噛み潰したような表情を浮かべた。 「云ってくれないとわからないよ。ボク、テレパシーは使えないんだもの」 そう云って、遊戯は視線をつま先に移した。くたびれたスニーカーは豪奢な車内のなかで浮いている。あーあ、こんなふっかふかで高そうな絨毯のうえをどろどろの靴で歩いていいのかなあ。昨日雨降ったからいつもより余計に汚いんだよね。やっぱり日曜に洗っちゃえばよかった。でもあの日は新作ゲームにかかりっきりだったし・・・。ぼんやりとそんなことを考えながら、遊戯は瞳を伏せた。それにしても広い車。これがリムジンなんだろうなあ、あ、あんなところに冷蔵庫がある。あーそういえば喉渇いてきたかも・・・さっきからボクしか喋ってなくない?まったくもう、なんなんだよ・・・だんだん腹が立ってきたぞ・・・。 「・・・・・・・・・・・・遊戯、」 「なに」 ちょっと身のうちで怒りが膨らんでいた所為で、突き放すような声を出してしまって、遊戯は後悔したが、出てしまった声は取り返せない。隣に座る海馬の顔を見上げると、さっきまでとはまた違うふうに眉が寄せられていた。彼のごく身近な存在―――モクバや彼の秘書である磯野、それに遊戯など―――にしかわからないほど、ささやかな変化だが、瞳の奥に動揺とためらいが滲んでいた。 「・・・ごめん」 「なぜお前が謝る」 遊戯が小声でつぶやくと、わずかに瞠目しながら海馬が問い返した。 「だって、いま八つ当たりしちゃったもん。別に海馬くんは悪くないよ」 「俺が無理矢理連れ出したのでも?」 「それでもだよ」 きっぱりと答えると、海馬は理解できないというように眉を寄せた。その表情に遊戯は笑い、話の続きをうながした。 「で、なんの用だったの?」 「ああ・・・・・・」 すると海馬は彼にしてはめずらしく、云いづらそうに口ごもった。すこしの間、また車内に沈黙が満ちる。遊戯は、たぶん無意識の動作なのだろう、海馬の右の親指が書類を止めているホチキスの針を何度かなぞるのを見つめていた。 (長い指だよなー・・・かっこいいなーなんかオトナって感じするよねぇ) 思わず膝の上の自分の手と見比べて溜め息をついた。身長については云うまでもないが、こういうパーツごとのつくりひとつを見ても海馬とは同い年とはとても思えなくて、コンプレックスがちくちくと刺激される。遊戯の大事な“相棒”や友人たちは、遊戯はそのまんまがいちばんなんだぜ、と云うけれど、そうはいっても遊戯だって健全な男子高校生であるので、海馬や城之内のような男らしい体躯には憧れがある(海馬のようになりたい、と云ったら親友たちは大慌てで止めるだろうが)。さすがにそこまで一気に身長を高くするのは無理だとしても、せめて未だに小学生に間違えられるいまの状況からは脱したいと切に願っている(海馬くんちに泊まりにいったときに借りたモクバくんのパジャマが普通に着れたのはさすがにショックだったな・・・)。 「・・・・・・・・・・・・特に用はない」 「えっパジャマに!?」 「は?」 ぼんやりと考え事をしていたせいでとんちんかんな返答をした遊戯に、海馬はおもいっきり眉をよせた。その表情にあわてて両手で口をおさえるも、冷たい視線が降って来て、身を縮める。 (ひえええ〜またやっちゃった・・・!) なんかリアクションしてくれればいいものの、無言なのがまたこわい。ビクビクと肩を竦ませて目を閉じる遊戯に、海馬はそっと溜め息をつき、隣に座る遊戯の肩に手をかけて、そのままゆるゆるとシートに押し倒した。遊戯は目をぱちくりさせながら、自身の上に覆いかぶさる海馬の顔をぽかんとした表情で見つめた。その幼い表情に海馬は喉で笑い、耳元に口を寄せる。 「・・・・・・そんなにパジャマが着たいのならこの場で脱がしてやるが?」 「!!? えっ!わわっ、さ、さっきのはちがくって、えっと・・・ひゃあっ!」 わざと耳に息がかかるように喋ると、遊戯は顔を真っ赤にして逃れようとするが、両手をがっちりとホールドされている状況ではそれもままならない。(蝶の標本、という言葉が海馬の脳裏をよぎった。) 「ボボボボクが耳よわいの知ってるよね!?」 「知っているが。なんだ、もっとやってほしいのか?」 それはすまなかったな、と海馬がわざとらしくニヤニヤ笑って云うと、遊戯はぼんっと音がしそうなほど顔を赤くした。横を向いて、うーとかあーとか騙された、いじわるだ、セクハラだとかぶつぶつ文句を云うのに、海馬は憮然とした表情を浮かべた。 「失礼なやつだな。このおれの何処がセクハラだというのだ」 「ぜ、ぜんぶ! ・・・わわっ、だ、だから耳やめてったら!!きゃー!なんでシャツの釦はずしてるのさキミは!!」 ぎゃんぎゃんと真っ赤な顔でじたばたする遊戯の両手を頭のうえでひとくくりにして左手でつかむと、海馬は右手だけで器用に遊戯のシャツの釦を外してゆく。 「なぜシャツを脱がせようとするか、理由は聞かなければわからないか?」 それほどネンネでもなかろうに、と海馬が言外にそれまでのことを含ませて云うと、遊戯は言葉につまったらしい。真っ赤な顔で口をぱくぱくさせる様子に、海馬は金魚を思い出した。まったく、蝶だったり金魚だったり忙しいやつだな。 「それにしても、相変わらず脱がせにくい服だな。いったい何処で買っているんだ?こんなもの。よく制服の下にボンテージなぞ着込むものだ」 「ほ、ほっといてよ! ていうかあんなコート着てる海馬くんに云われたくない!!海馬くんこそあんなの何処で買ってるのさ!」 「あれはKC縫製部特注品だ。オートクチュールでおれしか持っておらん」 「・・・・・・なんとなくそんな気はしてたよ」 ぐったりと一気に脱力した遊戯の首元に手を掛け、革の首輪をはずす。エンジン音だけがわずかに聞える静かな車内にカチャカチャと金具の音が妙に響いた。 「・・・海馬くん、手つめたい」 「おまえがお子さま体温なだけではないのか?」 「お子・・・ッ!!?〜〜そんなお子さま相手にこんなセクハラするのこそどうかと思うけどな!」 その言葉にぴたりと手を止めた海馬に、遊戯がしてやったりとばかりに笑う。が、ふいに海馬の右手が頬に添えられ、びくっとからだを震わせる。ゆっくりと近付いてくる海馬の顔にぎゅっと目を閉じた。 「セクハラというのは相手がいやがった場合にのみ当たると思うのだが、おまえはほんとうにいやなのか? もしおまえがほんとうにいやだというならやめてやる」 どうなのだ遊戯、と鼻先がいまにも触れ合いそうな距離で顔を覗き込みながらそう囁く海馬に、遊戯はぎゅっと閉じていた目をおそるおそる開け、真っ赤な顔で眉尻を下げた。 「そんな云い方、ずるい・・・」 「これが駆け引きというものだ。さぁどうなんだ?」 再度問い掛けると、遊戯は唇を噛んで、視線を床に落とした。頬に添えられた海馬の右手が、輪郭をなぞると、ひゅっと息を詰める。そして蚊の鳴くような声で、いやじゃない、と吐息混じりに囁いた。それに満足したように、海馬は鷹揚に頷き、遊戯の剥き出しの腹部に手を伸ばす。と、そこでギッと遊戯はさっきとは打って変わった強い視線を海馬に向けて、叫んだ。 「でもここではやだからねっ!!!」 その剣幕に思わず瞠目して、ぴたりと手を止めるものの海馬は不機嫌そうに眉を寄せた。 「なんだと?」 「それはこっちの台詞!いいい、いきなり車中でひとのこと押し倒したりとかなんでするかなあ!」 「よろこんでいたくせに何を今更、」 「わーっわーっ!そそそそりゃ、だ、だってそれは海馬くんが・・・うううっ・・・でもだめ!もうおしまい!大体ねー、車の中とかありえないよ!」 「別におれとおまえしかおらんのだから構わんだろう」 「思いっきり構うよ!ていうか運転席にひといるじゃん!!」 「運転手はこちら側のことには首をつっこまないように教育されている」 「そういう問題じゃなーい!」 「ああ、運転席との間には防音ガラスが張ってあるのでおまえがどんなに声をあげようと聞えんので安心しろ」 「・・・・・・そ、そういう問題でもないのっ。とにかくやだっ!手、放してどいてよ!どいてくれなきゃもう口利かないからねっ」 「小学生かおまえは」 「ほっといてよ!」 呆れ半分で溜め息をつくと、遊戯は耐えかねたように手足を振って暴れだした。体格差があるので海馬にはそれしきの反抗など痛くもかゆくもないが、涙目で癇癪を起こす恋人に負けてとうとう手を離して、横に座り直した。海馬瀬人社長であろうとも泣く子には勝てないということだ。 不機嫌そうに足を組んで頬杖をつく海馬の存在などないもののように、遊戯はむっくりとからだを起こして、あー手首痛かった、だの、うわっこんなとこまで釦外してたの、だのぶつぶつ呟いている。 手首をさすりながら、横目でちらりと海馬を窺うと、窓の外を仏頂面で見つめていた海馬と目が合って、ひゃっと肩を竦める。 (うっ、うわ〜すっごい機嫌悪そう・・・) 引きつりながらもなんとか笑顔を浮かべて「だから、ごめんってば」と謝罪するものの、返ってくるのはフンといういつものいらえだけだ。あーあこれは本格的にへそ曲げちゃったかなあ・・・と眉を下げて視線を落とすと、ふと車内の時計が目に入って、あっ、と遊戯は声をあげた。 「そういえば海馬くん、お仕事は大丈夫なの?」 「・・・・・・・・・今日の分はすべて終了した」 「えっ、てことはこのあと何にもないの? じゃあすぐおうちで休んだ方がいいんじゃないの?」 海馬くんお仕事いそがしくって全然休めてない、ってモクバくんが嘆いてたよ。 遊戯が云うと、はあ・・・、と仰々しく海馬は溜め息を吐いてみせた。 「・・・おれがなんのためにわざわざ学校なぞに行ったと思っているんだおまえは」 「え・・・普通に授業受けるため・・・・・・じゃないよねーアハハ・・・」 ギロリと睨みつけられて、あわてて誤魔化す遊戯に、海馬は唇を歪めた。 「今日は午後から取引先と会談の予定だったのだが、先方が乗るはずだった飛行機が気候の影響で飛ばなくなって延期になってな。それで急に時間ができたので、唐突だったが・・・」 「・・・・・・ッもしかして、ボクに会いにきてくれたの?」 遊戯が瞠目すると、気付くのが遅い、と云わんばかりに左手で遊戯の髪をぐしゃぐしゃにした。わっ何するのさ!と悲鳴をあげつつも、遊戯の顔は緩んでいる。 (そっか、そっか・・・海馬くんボクに会うためにわざわざ来てくれたんだ・・・) 多忙な彼が、空き時間をどうするかというときに、真っ先に自分のことを思い出してくれたのかと思うと、胸がじんわりと温かくなった。するとさっきの不機嫌そうな顔は照れ隠しだったということか。(ど、どうしようすっごくうれしいかもしれない・・・)たぶんさっきと負けず劣らずいまの自分の顔は真っ赤だろう。下を向いていてよかったとこっそり思った。 「・・・どうした?」 撫でる手を止めても、俯いた顔をあげない遊戯をいぶかしんで、海馬が幾分やさしく声をかける。と、俯いたままで、遊戯のちいさな手がきゅっと海馬の服の裾を掴んだ。 「・・・・・・あの、さ、じゃあこれから海馬くんち、行ってもいい・・・?」 ようやくあげた顔は朱に染まっていて、海馬は喉の奥で笑いを噛み殺した。 「最初からそのつもりだが」 「あっ、そ、そうなんだ。・・・・・・えっとー、そしたら、あの、つ、着いたらさ・・・」 「なんだ?」 遊戯が何を云わんとしているか疾うに察している海馬だが、そんなことはおくびにも出さず、素知らぬ顔で問い掛けると、遊戯はそんな海馬には気付かず、小声でつづけた。 「そしたら・・・・・・えーっと、さっきの続き・・・とか」 してほしーなー、なーんて・・・とかごにょごにょと後半は口の中で呟くように云う遊戯に海馬は口端を引き上げて笑った。 「おまえも随分と誘い方がうまくなったものだな」 「!! さ、誘ってなんか・・・・・・あ、あるかもしれないけど・・・・・・せっかくひとが勇気を振り絞って云ったのになんでそういうこと云うかな・・・!」 「・・・悪かった。そうむくれるな」 素直に海馬が謝罪を口にすると、遊戯はぐっと詰まった。「むくれてなんかないけど・・・」 「それにしても・・・」 「? なに?」 「いつまでもそんな格好をしていられると、いくらおれでも屋敷まで理性が持たんぞ」 「ッ!!?」 海馬の言葉に、遊戯はあわてて全開だったシャツの前を合わせた。 「きっ気付いてたなら早く云ってよ・・・!」 「いい眺めだったからな」 「・・・・・・変態」 「だがそんなおれが好きなんだろう?」 「〜〜〜ッ!」 ちいさな体躯をわなわなと震わせて顔を真っ赤にする遊戯の肩を引き寄せて、唇を合わせた。やわらかな唇が思った以上に懐かしく、恋しく感じられて、こうして触れ合うのはどれくらいぶりだろう、とふと思った。腕の中のぬくもりが、この上なくいとおしい。 「・・・ずるいよ」 「なにがだ?」 海馬の肩口に額を押し付けていた遊戯は、ぱっと顔をあげると両手を海馬の頬に当てて、額をこつん、と押し当てた。 「そんな顔されたら何も云えなくなっちゃうじゃん」 「・・・おれがどんな顔を?」 「そういう、嬉しくてたまらないって感じの顔。・・・海馬くんのそういう顔、ボクすごくすきだよ」 そう云うやいなや、遊戯は、かるく海馬に口吻けてみせた。 不意打ちの遊戯の言葉とキスに、海馬が瞠目すると、遊戯は今度こそしてやったりと云わんばかりに、にぃっと自慢げに笑った。 「だいすきだよ、海馬くん!」 ―――恋人たちの時間はまだ始まったばかり。 |
バ、バカップル・・・!これが初めて書いた遊戯王小説です。小説未満のは書いたことあるけど。
AIBOは元より社長が死ぬほど難しくって・・・遊戯王ジャンルのひとはすげーや・・・☆rz
最初はこんな話じゃなかったんですが、どんな内容にするか忘れてしまって/(^o^)\
「海より深いものなあんだ?」という意味のわからないメモで察することはわたしにはできませんでした。自分で書いたのに。なあんだ?とかそんなもんこっちが訊きたいわ。
たぶんモクバにそんなことを聞かれて、AIBOが、海馬くんそれはね、みたいな話だったと思います。
海より深いもの=兄弟愛とかそういうオチだった・・・それがなぜこんなことに(;´p`)
無駄に長く、バカップルになってしまいましたが大変たのしかったです。海表萌えるよ海表!(*´д`*)
2007.09.11