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Happy Birthday dear
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やさしい時間をあなたに







「ねえ兄サマ、明日は学校へ行くの?」
 控えめなノックの音と共にもう真夜中近いというのに、部屋を訪れた弟が、突然そんなことを云いだすのに海馬はパソコンのディスプレイから顔をあげ、眉をしかめた。
「・・・・・・明日になにかあるのか?」
 何処かしら含みのありそうなモクバの言葉に、海馬はクリックひとつで予定帳をパソコンのディスプレイに表示させたが、特に重要なものは見当たらない。強いてあげるなら、まったくと云っていいほど足りていない出席日数を補うために教師から出された課題の提出日が来週に控えているくらいだが、これは関係ないだろう。他にさしたる用もなかったと思うのだが、もしかしたらしばらく自分が家を空けていたうちにプリントやらなにやらが届けられて、それをモクバが受け取ったのだろうか。そんなものをわざわざ海馬の屋敷にまで届けに来る“おせっかいなクラスメイト”の姿を脳裏に思い浮かべて、海馬の何処かがふっと緩んだ。

 ―――そのおせっかいな人物の名は、武藤遊戯と云う。クラスでは特に目立たない存在で、注目されるときと云えば城之内や本田といったいわゆる“問題児”な連中と一緒に吊るし上げられているときや、新作ゲームをいちはやくクラスに取り入れてくるときくらいだった。体躯もちいさく、制服を着ていなければ中学生どころか小学生に間違えられてもおかしくはないほどだ。教室でゲームをしながら、ちいさな顔ににこにこと満面の笑みを湛えている姿を、海馬は遠くからフンと嘲笑めいた目で冷やかに見ていた。低レベルな連中と、あんな児戯めいた勝負をして何がたのしいというのか。勝負とは常に駆け引きであった海馬にとって、遊戯のような輩は理解できない人種であったし、また関わることもないだろうと思っていた。―――遊戯の祖父があの伝説のカードを持っていると知るまでは。
 その後のことは述べるまでもない。海馬は遊戯にデュエルを挑み、敗北した。おのれの力に絶対の自信と誇りを持っていた海馬は完膚なきまでに叩きのめされ、プライドは粉々に打ち砕かれた。
 だから海馬は遊戯のことをなによりも憎らしく思っていたし―――遊戯は海馬にとっても会社にとっても、まさしく目の上のたんこぶであった―――、遊戯もそうであろうと思っていた。・・・・・・遊戯が、ゲームで敗北したショック(奴は闇のゲームの代償などという馬鹿らしい表現をしていたが)で人形同然になっていた海馬の元を毎日のように訪れていたということを聞くまでは確かに。
 正気を取り戻し、ふとした拍子にそのことを聞いたときは、いったい何をたくらんでいるのかといぶかしみ、そしてなぜそんな無駄なことができるのかと呆れかえったものだった。
 まったく不可解な行動だ、と眉を寄せる海馬に、そのことを告げた弟は、控えめながらもこう呟いた。―――・・・でも兄サマ、遊戯ってそんなに悪いやつじゃないよ。
 ・・・その言葉を即座に打ち消せない自分に苛立ちを覚えた、あのときの妙な感覚はいまだに海馬のなかに残っている。

   *   *   *

 わざわざ届けにこなくても、それほど重要なものなら直接学校側から連絡が来るから必要ないと海馬がいくらつっぱねても、めげずに「でももしかしたら連絡ミスだってあるかもしれないじゃない。それにクラス行事のこととかはさ、生徒じゃないとわかんないし」と何がたのしいのか、にこにこ笑いながら云う姿に毒気を抜かれた海馬が「・・・好きにしろ」と溜め息まじりに折れると、「うん、好きにするね」とそれ以来、遊戯はときどきプリントやノートやらを手に屋敷を訪れるようになった。
 その奇妙な習慣が始まったばかりの頃、海馬がそれらをたずさえてくる彼と直接会うことは滅多になかった(海馬の終業時間はおおむね深夜に及ぶ)が、あるときめずらしく早めに―――と云っても八時は回っていたのだが―――屋敷に戻ると、広い応接間で彼の弟と笑い声をあげるその姿に遭遇したことがあった。まず、こんな時間までひとの家にあがりこんでいるとはどういう了見だと口にしようとした海馬だったが、弟の明るい笑い声に、その言葉は喉へ押し戻されてしまった。
「―――へっへー、これでおれのが俄然有利になったぜィ!」
「うっわー!そう来るのかあ〜」
 頭を抱えて唸る遊戯に、ニィッとモクバは唇の両端を引き上げて見せた。そのモクバの満足そうな笑みに、盤上をじっと見つめていた遊戯は、ぱっと顔をあげ、・・・でもちょっと甘かったね、と人差し指を立てて、次の手を示してみせた。
 タン、と駒を進め、「これでボクの勝ちだね」と笑う遊戯に、今度は頭を抱えたのはモクバだった。
「・・・くっそー、そんな手があったのかよ〜〜」
 あーあ、今度こそ勝てると思ったのになあ!とふてくされた声をあげながら、どさりとソファに倒れこんだモクバに、盤上を指差しながら遊戯が声をかける。
「うん、いまのはボクもちょっとやばかったよ。モクバくんってやっぱりゲーム上手だよねぇ」
「・・・・・・全勝してるやつに云われてもあんまり嬉しくないぜィ」
 それって嫌味か〜?とソファのクッションに顔の下半分を埋めながら、モクバが云うと、遊戯は途端に焦ったように、えっそんな、ボク別にそういうつもりじゃ、と慌てて顔の前で両手を振る。その幼い仕草に、ぷっとモクバは吹き出して、むくりとからだを起こした。
「冗談! おまえがそういうこと云うやつじゃないってことはよ〜く知ってるから安心しろって!」
「もう・・・」
 悪戯が成功した子どものように笑うモクバに、からかわないでよ、と遊戯が面目なさそうに笑う。それでも思い直したように、視線を盤に戻して口を開く。
「あ、そうだ。さっきの手なんだけど、やっぱりその前に捨てた『兵士』がおおきかったと思うんだ。『兵士』って歩とかポーンと一緒で一見弱そうだけど、実はいざってとき伏兵になったり意外と・・・・・・―――海馬くん?」
 わずかに軋む扉の音を聞きつけたのか、そこで、ふっと扉の方を振り返った遊戯がそう驚いたように呟くと、その言葉に顔をあげたモクバは彼の敬愛する長兄の姿をそこに認めて、ぱあっと顔を明るくした。
「兄サマ!! お帰りなさい!今日は早かったんだね!」
「あ、ああ・・・・・・」
 ソファから駆け出してきて、腰の辺りに飛びついた弟をぎこちなく抱きとめる海馬を、にこにこと笑って見つめる視線に、海馬はなんだか居心地の悪いものを感じ、唇を歪めた。
「こんばんは、海馬くん。ごめんね、勝手にお邪魔してます」
「あっ兄サマ!! 遊戯は悪くないんぜ! おれが帰ってきたとき丁度遊戯がプリント届けに来てて、そんで新しいゲームがあるっていうからやらしてもらってたんだ!」
 だから怒らないで!と縋るような瞳で見つめてくる弟の頭をくしゃくしゃと撫でてやると、モクバはほっとしたように笑った。
「・・・ゲームというのはそれか?」
 海馬の言葉に、顔を明るくしたモクバが「そうそう!けっこーこれ奥が深いんだぜィ〜!」と足取りも軽く、海馬の手を引くのになかば引き摺られるような形になって部屋の中央に置かれた、豪奢なソファセットまで海馬は歩を進め、テーブルの上に置かれた卓上ゲームを覗き込んだ。チェス盤よりもいささか長方形に近い盤のうえに、赤・黒・白に塗り分けられた升目が並んでいる。
 さすがゲームとなると興味を抱いたらしい海馬に、遊戯がひとつひとつ指を差しながらルールと駒を説明してゆき、それに頷いたり質問をしつつ真剣に聞いている兄の姿を、すこし離れた位置から、うれしそうにモクバが眺めていた。
 どうやら簡単に云うと、これはチェスと軍人将棋を組み合わせて、アレンジしたようなものらしい。
 ひととおり説明を終えたあと、実はね、と照れたように遊戯が切り出した。
「これボクたちでつくったやつなんだ」
「・・・・・・“ボクたち”?」
「うん、そう。御伽くんと獏良くんとボクで」
 ・・・って云ってもボクはもっぱらテストプレイヤーで、ほとんど御伽くんたちがつくったんだけどねー、と頭を掻いて苦笑いする遊戯を尻目に、ふぅん・・・、と海馬は顎に指先を添え、考え込むような仕草を見せた。
「・・・まあ、よく出来ているな」
「だよね! ボクもやってて、すっごくたのしかったもん!DDMもよかったけど、これも相当いろんな戦略が組めると思うし」
「DDM・・・? ・・・ああ、御伽というのは『ブラッククラウン』のお抱えゲーム・デザイナーか」
 何処かで聞いた名だと思ったが、と云う海馬に、遊戯は複雑そうな顔だ。
 それに気付いた海馬が、どうした、と問うと、溜め息が返ってくる。
「ていうか御伽くんってボクらのクラスメイトでしょー!」
 そっちが先に出てきてほしいのにさーと子どもっぽく拗ねた声をあげる遊戯に、やれやれと海馬は首を振った。
「ほとんど学校に行けていないおれには云うに値しない台詞だな」
 フンと鼻を鳴らしながら腕を組む姿に、遊戯は唇をとがらせた。
「もうちょっと学校に来たらいいのに。せっかく進級したんだからさ」
「進級なぞよほどのことがなければ誰でもできる。せっかく、というほどのことはあるまい」
「・・・・・・あー云えばこう云うんだから・・・・・・」
 海馬のあしらいにも、怒りというよりは呆れを滲ませて、遊戯は肩を竦めた。
「・・・・・・まあ、お仕事忙しいみたいだからしょうがないけど、でももうちょっと来てくれないとみんなに忘れられちゃうよ」
 この異様に存在感のある社長さまを忘れるクラスメイトもいないと思うのだが(海馬は校内一の有名人である。本人が望む望まないに関わらず)、遊戯は本気で云っているらしい。モクバに話しかけるのと同じように、年下をたしなめるような口調に海馬が眉を寄せる。
「・・・忘れられたところで特に支障があるわけでもなし、構わん」
 当然のように云い放った海馬の言葉にショックを受けたような顔をしたのは遊戯だった。自分で云いだしておきながら、見開かれた瞳に傷ついたような色を浮かべるのに海馬は内心でぎくりとたじろいだ。
(なぜ貴様がそんな顔をする・・・)
 周りからどう思われようとも、海馬にはさしたる問題ではない。大会社の社長として、自社の評判に傷がつかない程度であれば海馬個人にはどんな誹謗中傷を向けられたところで痛くも痒くもないからだ。そんなことでいちいち苦しむようなら、トップとしてはやっていけない。
 それなのに、目の前の男は、まるで自分が傷つけられたかのような顔をする。そのことが海馬には不可思議でならなかった。
 そのアメジストの瞳から今にも涙が零れ落ちそうな気がして、云いそうになった。―――泣くな。そんなふうに、そんな顔をして泣くな、と。だが、反射的にそう思った海馬の予想に反して、遊戯はさっとその表情を覆い隠し、困ったような、また怒ったような表情を浮かべた。
 そんなこと云わないでよ、と前置きして、笑う。キミのこと、忘れたりなんてしないからさ。
 涙の気配を完全に隠して笑顔を浮かべる様子に胸の奥がざわめいた。なぜだかわからないが不愉快だ、と海馬は思ったが、それがいったいなんのためなのかは、まだ気付く由もなかった。
 笑う遊戯と眉間にしわを寄せる海馬を、心配そうに見比べながら見上げる弟に気付くと、海馬はふっと溜め息を漏らした。
「・・・・・・そろそろ帰れ」
「に、兄サマ! だからおれが遊戯を引きとめてて・・・遊戯は悪くないんだったら!」
 海馬が遊戯のことで怒っていると思ったのか、焦ったように袖を引いて云う弟に、・・・別に怒っているわけではない、と云い含めると、彼の聡明な弟はぐっと言葉を飲み込んだ。・・・うん、ごめんなさい。それでも不安そうな視線を彷徨わせるモクバの肩に、ぽん、と手がかかる。
「大丈夫だよ、モクバくん。海馬くんはボクのこと怒ってるんじゃなくて心配してくれてるんだよ」
 ホラ今気付いたんだけどもう外だいぶ暗いしさ、ボクもつい家に連絡するの忘れちゃってたし。
「遊戯・・・・・・」
 モクバの肩に手を置いたまま、遊戯が笑顔でそう云うと、そうなの、兄サマ?と見上げてくる四つの瞳に、・・・フン、と海馬は決まりが悪そうに鼻を鳴らして、そっぽを向いた。遊戯の云うようなことを思ったのは確かだが、「ああこんなに遅くなって大丈夫なのか、君のことが心配なのさ」などと正面きって海馬が云えようはずもない。KC社長として子どもや顧客相手に向ける外面の良さをわざわざ遊戯相手に発揮する気にもならなかった。第一、本性はもうとっくにバレているのだから今更そんなことを云い出したら不気味がられるだけだろう。何より、こんな物云いでも遊戯は大概的確に(しかもかなり好意的な方向で)海馬の言葉を受けとめることを、海馬は知っていた。そして本人はまだ認めようとしないだろうが、そんな遊戯と言葉を交わす心地良さも海馬はうすうす感じていた。
 海馬らしい不器用な親切心に遊戯とモクバは目を合わせて、くすりと笑ったが、そんな様子に海馬はますます不機嫌そうに唇を歪めるのだった。
 そして無言ですたすたと扉の方に向かうと、「車を出してやる、来い」とだけ云い捨てて、振り向きもせずに部屋を出て行った。
「えっ、あっ、でも悪いよ・・・・・・ってもういないし」
 あわてて辞退しようとした遊戯だったが、既に部屋の中に海馬の姿はない。やり場のない伸ばした左手を持て余していると、モクバが明るい笑い声をたてる。
「遠慮すんなよ。うちには車なんていっぱいあるんだからさ」
 それに断ったほうが兄サマ不機嫌になるぜィ?という言葉に、遊戯も笑いを漏らした。そうだね・・・うん、そうかもね。そうして二人であわただしく机上のゲームを片付け、遊戯はそれを鞄に仕舞いこんだ。
「―――よしっと、忘れ物はしてないかな」
「・・・ん、大丈夫だと思うぜィ!」
 笑顔を見せつつも、どこか表情を曇らせるモクバに気付くと、遊戯はそっとやさしい声を出した。
「モクバくん今日はありがとうね」
「えっ?」
「ボク、モクバくんと一緒にゲームできて、色々話もできて、すっごくたのしかったよ」
「・・・別にそんな気ィ使わなくていいんだぜ」
 わずかに頬を赤らめて、スリッパの爪先を見つめるモクバの髪にそっと触れて、遊戯は重ねる。
「気なんて遣ってないよ。たのしかったから、たのしかったって云っただけ。それともモクバくんはたのしくなかった?」
 遊戯の言葉に、ばっとモクバは驚いたように顔をあげた。
「そんなわけないじゃんか!」
「そっか。それならよかった」
 遊戯が穏やかに微笑んで、モクバの髪を撫でると、モクバのなかでふつりとなにかが切れたのか、ぎゅっと遊戯に抱きついて、肩口に顔を埋めた。モクバの突然の行動に遊戯は驚いたが、すぐにその背をやさしく撫でた。消え入りそうなほどちいさな声で囁くモクバの言葉に、うん、うん、と遊戯は頷き返した。(・・・うん、わかるよ、わかる)(大丈夫、そんなこと思ったりなんかしないよ、モクバくんはえらいね、)そっとこころを撫ぜるように紡がれる言葉はとてもやさしくて、それはコットンみたいにすっとモクバの涙を吸い取ってしまった。涙の代わりに、熱い溜め息が漏れる。
「また遊びに来てもいい?」
 声に出さずに、こくりとモクバは頷いた。
「モクバくんも今度うちに遊びにおいでよ。じーちゃんがすっごいゲームマニアでさ、珍しいゲームがたくさんあるんだよ」
 うん・・・とわずかに掠れた声でモクバが頷く。・・・うん。行く。絶対行く。たのしみにしてる。
「じゃあ約束だよ」
 なんか弟ができたみたいでうれしいな、と遊戯がふふっとくすぐったそうな笑い声をあげると、モクバも照れくさそうに笑った。・・・おれも、家族が増えたみたいでうれしいぜィ。

 モクバと手を繋いだまま、玄関まで行くと、ドアの前で腕組みして待ち構えていた海馬は、遅いぞと文句を云おうとして、ふたりの繋がれた手を見て、眉を顰めた。そして構えていた台詞の代わりに溜め息を吐くと「・・・・・・さっさと来い」と云い置いて、外へ出ていってしまった。
 海馬は開け放した扉に背を預け、かすかに漏れ聞える遊戯の声にそっと目を閉じた。(・・・じゃあねモクバくん、いいよ、ここまでで大丈夫、モクバくん薄着だし、・・・うん、わかってるよ、約束、ね・・・モクバくんも約束だよ、じゃあほら、ゆーびきーりげーんまーん嘘ついたら・・・・・・)
 高校生にもなって指きりか、と海馬は鼻を鳴らしたが、遊戯には妙に似合いの仕草のような気がした。(・・・・・・お子様め)
「海馬くん! ごめんね、お待たせしました〜・・・あれ?」
 遊戯の言葉に、すうっと海馬は目を開け、すぐ近くでリュックサックを背負いなおしながら瞬きする遊戯の頭をくしゃりと撫でると、早く乗れ、と顎をしゃくって、促がした。
 遊戯は突然の海馬の行動に驚いたように立ち竦んでいたが、大股で歩く海馬の後を小走りで追いかけてきた。
 運転手が恭しく頭を下げながらドアを開けた後部座席に遠慮がちに乗り込むと、遊戯は居心地悪げに身じろぎした。
「うっわー・・・・・・ボク、リムジンなんて乗るの初めてだから落ち着かないなあ・・・」
「・・・嫌なら他の車を手配させるが?」
 云って、ほんとうに運転手に声をかけようとした海馬を、遊戯はあわてて引き止めた。
「わわわ、だ、大丈夫だよ! すっごいふかふかで座り心地いいし!!」
「・・・・・・フン」
 出せ、と短く海馬が命じると、ゆっくりと車が発進した。振動があまり伝わってこないのに、やっぱり高い車って違うんだなあ、と遊戯は感心した。勿論ドライバーのひとの腕もあるんだろうけど。
 ふう、と息を吐いて、背中をシートに沈めると、ふかふかで、とても気持ちがよかった。自他共に認める小市民には滅多に味わえないだろう心地だ。
 隣りに座る海馬を横目で見遣ると、すっと海馬も視線を遊戯に向けたので、思わず遊戯は、にこーっと笑いかけた。日本人にはありがちな反射的なそれに海馬は眉を寄せ、溜め息を吐いた。
「・・・・・・なにさ」
「別になにも云っておらんだろうが」
 そういう態度じゃなかったけどなあ、と唇をとがらせながらも遊戯は俯いた。
「・・・・・・今日は、」
「え?」
 耳に届いた言葉に、遊戯はぱっと顔をあげる。隣に座る海馬の横顔を見つめると、海馬はまっすぐ前を向いたまま、ぽつりぽつりと呟いた。
 ・・・モクバが面倒をかけたな。すまなかった。最近なかなか時間をとってやれなかったから寂しかったのだろう。あんな嬉しそうな声は久しぶりに聞いた。もしよければまた相手をしてやってくれないか。モクバはお前のことが気に入っているようだ。きっとモクバも喜ぶ。
 淡々とした口調は、まるで台詞を読み上げているようだったけれど、その裏側には弟への深い愛情と慈しみがあることを知っている遊戯はちいさく笑った。不器用なひとだなあと思う。けれど遊戯はどこかぎこちない、けれど強い絆で繋がれているこの兄弟のことがとても好きだった。だからもちろん、と云って頷いた。
「・・・あ、でもひとつ条件があるよ」
 遊戯が思いついて云うと、海馬はちょっと眉を寄せて、・・・なんだ、と訊いた。
 その訝しげな顔に人差し指を突きつけて、遊戯はにっこりと笑ってみせた。
「ときどきは海馬くんもボクたちのゲームに参加すること!」
 思ってもみなかったらしい言葉に、海馬が目を瞠るのに、遊戯が「だって二人だけじゃつまらないでしょ」と云うと、海馬はお手上げだというように肩を竦めた。
「・・・・・・ああ、約束しよう」
 たぶん、それが遊戯に初めて見せた海馬の笑顔だったのだ。

   *   *   *

「・・・・・・―――サマ、兄サマ? どうかした?」
 控えめに弟からかけられた声で、海馬は回想からハッと引き戻された。
「ああ、いや、何でもない。大丈夫だ」
 心配そうに見つめるモクバに軽く手を振ると、そう?と首を傾げながらも弟は引き下がった。
「それよりお前こそ大丈夫なのか?」
「え?」
 時計を指すと、もうあとすこしで日付が変わろうとする時間だった。小学生が起きているにはもう遅い時間だ。
 そろそろ寝たらどうだと云うと、モクバはあきれた表情を浮かべた。
「・・・そんなことだろうと思ってたぜィ」
 それはどういう意味だ、と海馬が尋ねようとしたまさにその瞬間、壁の時計がポーンと0時を知らせた。その音にモクバはぱっと顔を明るくし、こう叫んだ。

「―――兄サマ、誕生日おめでとう!!!」

 差し出されたプレゼントとにこにこと嬉しそうに笑う弟の顔を交互に見つめる海馬の表情に、モクバはやっぱりなと苦笑してみせた。
「・・・兄サマ、自分の誕生日のこと忘れてただろ」
「ああ・・・・・・そうか、今日は10月25日か・・・」
  すっかり忘れていた、というよりも気にした覚えがまったくなかった。そういえば最近モクバや屋敷の者が妙にそわそわしているなとは思っていたが、このためだったのか・・・とようやく思い至ったほどだ。もう誕生日を待ち遠しく思う年頃でもないし、もともと海馬は誕生日を特別うれしいと思う性質ではなかった。それでも、緊張と期待の面持ちで見上げてくる弟の手からプレゼントを受け取り、笑顔を向けられるのは悪い気分ではなかった。
「ありがとう、モクバ」
「へへ・・・・・・誕生日はさ、特別な日だからおれがいちばんにおめでとうって云いたかったんだ」
 ちゃんと云えてよかった、と安心したような表情を浮かべる弟の頭をくしゃ、と軽く撫でてやると、モクバは照れくさそうに鼻をこすって笑った。
「じゃ、じゃあおれそろそろ寝るぜ! 兄サマも無理しすぎないようにね!!」
 照れ隠しなのだろう、モクバはそそくさと海馬から離れ、ドアの方に駆け出した。
「ああ、おやすみモクバ」
「おやすみ兄サマ」
 ひらりと手を振りかわしたあと、パタン・・・と扉が閉められた。その音を聞きながら、海馬は椅子に背を沈めた。ふうと息を吐いて、机上に置かれた包みを見遣る。
「誕生日・・・か」
 自分の誕生日それ自体よりも、弟が祝おうとしてくれたその気持ちがなによりも海馬にはうれしかった。誕生日なんてものはただの社会的な通例に過ぎないものだと思っていたけれど、そう悪いものでもないかもしれないなと思い、海馬はすこし口元を緩めた。
 うれしそうにプレゼントを差し出してきたモクバの笑顔を思い返しながら、海馬は、声が聞きたいと思った。祝いの言葉がほしいわけでも、なにか用があるわけでもないけれど、ただ無性に声が聞きたかった。突然、電話をかけたらあいつはどう思うだろうか。・・・海馬くん?とすこし舌ったらずに自分の名を呼ぶあまやかな声を思い出す。あいつに―――遊戯に名前を呼ばれるのは、そう悪くない心地だ、と海馬は思った。
 電話なぞをかけてどうするつもりなのだろうと思ったけれど、自然と海馬の手は電話に伸びていた。何を云うかだなんてそんなものは声を聞いてから考えればいいだろう。そんな衝動的に動く自分にすこし驚いたけれど、今日くらいは構わないだろうと思った。
 だって誕生日は特別な日なのだから。




社長のお誕生日話でした。ちょっと時間がなくて回想以外で相棒が出せなかったのが心残りです・・・。
モクバが「学校行くの?」って聞いてたのは当日に皆からお祝いを受けるという展開を書こうとしていた名残です。
結局書けずじまいであああ・・・という感じで・・・・・・ほんとうに計画性のない女ですみません☆rz
というか実は去年の誕生日のために書き始めていた話でした。どんだけ放置してたのかっていう・・・!
なので8割ほどは結構前に書いた部分なので、文章が違うなあと自分でも思います。
次こそはリベンジ!と今から来年に思いを馳せておきます(・・・)。
社長、お誕生日おめでとうございました!! いつまでも相棒とモクバとしあわせでいてください。
2008.10.25