不動遊星の受難



           Yusei Fudo's Passion



  

「出掛けるぞ、遊星!」
 そんな声と共に部屋に飛び込んでくるなり、毛布を引っぺがされ、遊星は軽く絶望した。ああ、また嵐がやってきた・・・。そう思ってうんざりしていると、無理矢理腕を掴まれ、上体を引き起こされる。
 遊星は眠気の残る痺れた頭で、突然部屋に闖入してきた迷惑な友人を見つめた。昨日はここ数日徹夜で取り組んでいたプログラムがやっと完成して、朝の4時過ぎに眠ったばかりだと云うのに、その眠りを妨げられて遊星は不機嫌だった。だが睨みつけても、友人―――ジャックは、平然とした表情で部屋を見回すばかりだ。遊星は眩しさに目を擦りながら、精一杯の嫌味を込めて云った。
「・・・・・・いま何時だと・・・」
 だが、わかりやすく不機嫌な声音をつくった遊星の様子など気にせず、ジャックは高級そうな―――というか実際ものすごく高いのだろうが―――腕時計に目を遣って、答えた。
「朝の6時だな」
 その言葉に遊星は呆れてものも云えず、またベッドに潜り込もうとした。6時! おれが眠りについてからまだ2時間も経っていないじゃないか。せめて別の日に来てくれれば・・・と遊星は思ったが、それでも朝の6時なんていう時間は、アポイントもなしにひとの家を訪れる時間ではない。
 もう何もかもがいやになり、睡眠に逃避しようとした遊星だったが、噛み付くようなキスが降ってきて、ぎょっと目を見開いた。驚いて、突き飛ばそうとするものの、がっちりと後ろ頭を抱えてられているのでそれも叶わない。ぬるりと口腔にジャックの舌が入り込んできて、逃げようとする遊星の舌を絡めとる。
 遊星にはこの友人の考えていることがさっぱりわからなかった。突然殴りつけられたり、キスをされたり、抱きしめられたり。ジャックの行動にはまったく一貫性がないのだ。もしかしたらジャックのなかでは何か理由があっての行動なのかもしれないが、それを一切口にしないため遊星には相変わらず訳の判らないままだ。ただひとつ遊星にわかるのは、こういうときのジャックには何を云っても無駄だということだけである。遊星は諦めてそっと目を閉じ、ジャックの思うがままにさせてやることにした。嵐はいつか過ぎる。大人しくしていた方が楽だということを、もう何度目か知れないキスのあとに遊星は気づいたのだった。
 長いキスのあと、ようやく解放された遊星はジャックを睨みつけたが、ジャックはそんな遊星の表情すらも嬉しそうに見つめていた。遊星の口端から零れ落ちた唾液を舌で舐めとると、遊星を抱きしめてそっと耳元で囁いた。
「・・・・・・さあ、さっさと出掛けるぞ遊星」
 ああこの身勝手な男を思いっきり殴ってやりたい・・・と遊星は寝不足の頭でぼんやりと思った。

 それでも欠伸まじりに、遊星はジャックに付き合ってやることにした。基本的に遊星は一度ふところにいれた相手にはあまい。それに遊星が拒んだところでこの男はまったく聞かないし、遊星がうんと云うまで一歩も引かないだろうことはわかりきっていたからだ。それならば、さっさと気の済むまで付き合ってやったほうが早い、と遊星は長い付き合いで悟っていた。ジャックは飽きっぽいし、そのうちこんなに過剰なほどおれに構うのにも飽きるだろう、と思いながら。
 とりあえず着替えをしようとお気に入りのTシャツに手を伸ばした遊星の顔に、ジャックは持参してきたらしい紙袋を投げつけた。ばん、といい音がして袋は床に落ち、遊星は恨みがましくジャックを見上げたが、ジャックは遊星の頭にタオルを被せ、洗面所の方に顎をしゃくるのみである。
「さっさと顔を洗ってこい。ひどい顔だぞ」
「・・・・・・・・・」
 誰のせいだと思ってるんだ・・・・・・。遊星は思いながら拳を握り締めたが、背中を蹴りつけられ、しぶしぶベッドから降りて洗面所に向かった。
 冷水で顔を洗うとだんだん頭が冴えてきた。ああこの分だとジャックが帰ったあと寝ようとしてもなかなか寝付けなさそうだな、と遊星は思った。まあそれもジャックが大人しくさっさと帰ってくれたらの話なのだが・・・。
 きゅっと蛇口を閉め、顔をあげると鏡の中に疲れきった顔の男がいて、遊星は溜め息を吐いた。じっと覗き込むと、目の下にうっすらとクマすらできている。ますます憂鬱な気分になったが、遊星は水滴と共に沈み込む思考を頭を振って払い、タオル片手に部屋に戻っていった。
「相変わらず殺風景な部屋だな」
 馬鹿にするような口調で遊星の部屋を見渡し、鼻を鳴らすジャックに遊星はむっと唇を引き結んだ。いきなり押しかけてきた不躾なやつに、自分の部屋のことをどうこう云われたくなかった。遊星は元々モノには執着しないタイプだし、とにかく自分の好きなこと―――主に機械いじりだが、さえできればいいのだ。それでも遊星はいまの自分の部屋が気に入っているし、すべて一緒くたにガラクタ扱いされるのはたまらなかった。
「・・・・・・ほっといてくれ」
 遊星はむっとして唇を引き結びながら、椅子にかけておいたTシャツを手に取ると、その背中にジャックが声をかけてきた。
「おい、遊星!」
 今度はなんだ、と思いながら遊星が振り返ると、ジャックは先程遊星の顔に投げつけた紙袋を突き出してきた。
「おまえにやる」
 ぐいと強引に胸に押し付けられた袋の中を覗くと、卸したてらしい洋服が上から下までひとそろい入っていた。呆れたことに本革らしいブーツまである。ちらりと見えたタグには、どれもこれも普段遊星が買うものよりゼロがひとつ以上多い値が記載されていて、遊星は顔をしかめた。
「・・・・・・ジャック、こういうのは、もういい」
 目線を落として、遊星は云った。ジャックはなにかと遊星に買ってきたものを与えたがった。動物に餌付けでもするような感覚なのだろうか?それとも遊星は自分のものなのだとマーキングするために? ・・・どちらにしても遊星はすこしもうれしくなかった。ジャックにいくら安物だと罵られようとも、自分がいま持っているものは、すべて気に入っているし、納得して買ったものだ。もちろん友人からサイズが合わなかった服やらを譲り受けることはあったけれど、ジャックのこれはそういったものとはまったく違う意味のものだった。
 ジャックが金持ちなのは知っているが、別に遊星は気にしたことはなかった。友人になるのにそんなことは関係なかったからだ。ただ一緒にいてたのしければ・・・そう、思っていた。
 だからこうやってジャックになんでもかんでも与えられる状況を甘んじて受け入れることはできなかった。友情に対価なんて必要ないということを、ジャックにもわかってほしかったから。
「・・・おれは別にいまの生活に満足しているし、おまえからこんなものを貰う理由もない」
 だからもうこんなことはやめてほしい、という思いを込めた言葉だったが、ジャックはフンと鼻で笑うばかりだった。
「別におまえを哀れんで、やったわけではない」
「だったら、なんで・・・」
 眉を寄せる遊星に、ジャックは肩を竦めてみせた。
「他の誰でもないこのおれの隣にいるのに、おまえがみすぼらしい格好をしていたのでは話にならないだろう?」
 遊星は呆れたように溜め息を吐いた。「・・・キングだからか?」
 ジャックは大仰に笑んで頷いた。「そうだ、キングだからだ!」
 この問答もいったい何度繰り返したことだろう。遊星は頭を抱えたくなった。きっとジャックの脳には他人の言葉を自分の都合のいいように変換する機能でもついているに違いない。
 そんな遊星の悩みも知らずに、ジャックはこともなげに告げた。
「おまえが要らないというのなら別にいい。そうしたら捨てるだけだからな」
 その言葉に遊星はジャックを睨みつけたが、ジャックは素知らぬ顔だ。
 ジャックはやると云ったらほんとうにやる男だ。以前もこうやって押し付けられた洋服を、押し問答の末に要らないとつっぱねると、ジャックは「じゃあ、これはゴミだな」とその場にあったハサミで服をびりびりに引き裂いたことがあった。ジャックはすべての洋服を原型を留めないほどに切り裂いたあと、ジャックの突然の行動に呆然とする遊星に向かって笑ってこう云った。
 ―――なんて顔してるんだ遊星。おまえが要らないと云ったんだろう? だから捨てただけだ。
 今度もきっとジャックは遊星がつっぱねれば、あのときと同じことをするんだろう・・・・・・。遊星は渋々紙袋から服を出して、身に着け始めた。
 着替え終えた遊星を満足げに見つめると、ジャックはさもたのしげに声をあげた。
「さあ行くぞ、遊星!」


 アパートの階段を重い足取りで下った遊星は、家の前に停められた真新しい、真っ赤なスポーツカーを見て、思わず目を瞠った。驚く遊星の顔を、ジャックはしてやったりと云わんばかりに覗き込んだ。
「気に入ったか? おまえが前の白い車はいやだと云ったから買い換えたんだ」
 喜びと期待に縁取られたジャックの笑顔を見て、遊星は言葉をうしなった。
 確かに・・・確かにそんなようなことを云った覚えはある。けれど、それは単にジャックがさもお高いです、と云わんばかりの高級外車で遊星を迎えに来たり、遊星の安アパートの前に無造作に駐車して人目を引くようなことばかりをするのがいやだっただけで、別に買い換えてほしいなどと云ったつもりはまったくなかった。
 ジャックの新しい車はこれまたド派手なぴかぴかのルージュで、前と同じ・・・いや、前よりも目立っていた。こんな車の助手席に乗せられているところを誰かに見られたら、きっとまた学校で噂になるな・・・と思い、遊星は溜め息を吐いた。
「さあ早く乗るといい、おれのクイーン」
 ふざけているのか、恭しく助手席のドアを開けて遊星を車内に促がすジャックの機嫌の良い横顔に、ふと気づいて遊星は問い掛けた。
「・・・前の車はどうしたんだ?」
 遊星の言葉に、ジャックは微笑んだ。
「フ・・・もう捨てたに決まっているだろう・・・?」
 キングは常にキングに相応しいものしか持たないものだ!
 さも当然のことのように、そう云って笑うジャックを遊星は愕然とした表情で見上げたが、すぐに目の奥に諦観のひかりを横切らせて、そっと俯いた。
(あんないい車をスクラップに・・・・・・)
 心地良かったエンジン音やギア切り替えのスムーズさを思い出して遊星はぎゅっと掌を握り締めた。じわじわと胸に広がるのは後悔だろうか。自分の不用意な発言で、あんな素晴らしい車を廃車に追い込んでしまったことに対する・・・? だが考えても始まらなかった。頭に浮かんでは消えるのは、なぜ、という言葉だけだ。この極端すぎるジャックの思考をどうやったら治せるのだろうかと思いながら遊星は溜め息まじりに首を振ると、助手席へと乗り込んだ。

 シートベルトを締める遊星に、ジャックが声をかける。
「遊星、おまえは何処に行きたい?」
 ・・・どこにも行きたくない。というか今すぐ家に戻りたい。そう思ったもののジャックがこれを聞き入れないだろうことは明らかだった。
「・・・・・・何処でもいい・・・」
 諦めを胸に遊星は呟いた。やるせなく目を閉じる遊星を他所に、ジャックは満足そうに笑った。
「そうだろうなあ!」
 エンジンが掛けられ、心地良く揺れる車体の振動を受けて、遊星はゆったりとしたシートに身を沈めた。車はいつもすばらしく高性能なのに、ジャックはどうしてこう派手な外装を選ぶんだろうか。もっとシンプルなものがいいのに。遊星は心中でそっと呟いた。シンプルなものこそ、何よりもそのもの自体の素晴らしさがよくあらわれて、うつくしい。
 ―――ジャックも早くそのことに気付けばいいのに・・・。
 そんな遊星の考えも知らず、ジャックは乱暴にアクセルを踏み込み、ぐんぐんとスピードを上げていった。
(それよりも早く家に帰りたい・・・)
 隣で遊星が一刻も早く開放されることを願って、祈るように天井を見上げたことも知らずに。




「ジャック・アトラスの情熱」と完全に対になってます。
やっていることは全く同じなんですが、視点が違うとこれだけ違うっていうのを書きたかったので。
なので見比べながら読んでいただけると、またお楽しみいただけるかなと思います。
ジャック視点ではそこそこラブラブに見えた話も、不動さん視点では完全に“ひとりよがりジャック”というか・・・(笑)
英語の授業でPassionという単語は「情熱」「受難」というまったく性質の違うふたつの意味を持つ
ということを知って思いついた話でした。
2008.08.22